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9・11再考―戦争は人間の本性ではない

山極寿一

山極寿一 京都大学総長、ゴリラ研究者

 9.11の事件からの10年は、アメリカが暴力の幻想と不安に踊らされた時代だった。自分たちをアメリカ人という名のもとに憎み、抹殺しようとする人々がいる。自由のために、安全のために、これらの脅威を取り除き、その根を絶たねばならない。そう言って、世界中のすべての人々を疑い、あらゆる危険を検出し、先制攻撃を加えようとした。その結果、多くの罪のない民間人が巻き添えをくって殺された。これは悲劇と言うほかはない。いったい何が間違っていたのだろうか。
9・11まで世界貿易センターのビルがあった追悼広場が一般公開された。日本人犠牲者の名も刻まれている=今月12日、ニューヨークで田中光撮影

 それは、アメリカがテロに対して戦争をもって臨むという態度を崩さないことにある。対テロ戦争の政策に終始したブッシュ路線を批判し、協調政策を掲げてノーベル平和賞を受けたオバマ大統領でさえ、受賞演説でこう言っているのである。「武力行使は不可欠なだけでなく、道徳上も正当化されることもある」と。これはアメリカ政府が一貫して、戦争は平和をもたらす有効な手段と見なし続けてきたことを裏付ける発言である。事実、オバマ大統領はイラクからの軍の撤退を宣言したものの、アフガンへは兵力を増強している。

 こういったアメリカの政治家たち(世界中の政治家たちも右へならえだろう)の誤った考えには、第二次大戦後に登場した「狩猟仮説」が未だに大きな影を落としている。人類は狩猟によって進化し、古い時代にその攻撃性と技術を同種の仲間へ向けて、限りある資源をめぐる争いを武力で解決してきた。武器によって拡大された武力と戦争は、人間が秩序と平和をもたらす最良の手段となり続けてきたというのである。1960年代に製作されて大ヒットした「2001年宇宙の旅」は、このシナリオに沿って人類が現代まで歩んできたことを描いている。

 しかし、それは事実に基づかない誤った考えであることを、その後の先史人類学や霊長類学は証明してきた。

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