2011年10月12日
アップル社は、昨年、時価総額で揺るがない地位にあったマイクロソフト社を抜いてIT業界のトップに立ち、今年8月には全米企業の頂点に立った。その同じ8月に、創業者のスティーブ・ジョブズは、CEOを自ら辞し、先日、他界した。本稿では、コンピューター史という大きな流れの中での功績を記してみたい。
1976年、ジョブズは20歳のとき、5歳年上の友人スティーブ・ウォズニアックと、自宅で世界初のパソコンAppleIを作り上げた。
コンピューターは40年代に誕生し、50年代から商用化された。いち早く市場を支配したのはIBMで、「コンピューターの巨人」と称された。70~80年代に真正面から対抗できたのは日本の企業だけだった。
日本の特徴は、参入した企業が巨大電機メーカーであったことと、国(通産省)が強力なリーダーシップを取ったことである。富士通、日立、NEC、東芝、三菱電機、沖電気の6社が国策に乗り、富士通、日立、NECがIBMの対抗馬へと成長した。巨大電機メーカーは、たとえコンピューターで赤字を出しても他の部門で補える体力があった。
一方、アメリカは、個人の才覚に任されていた。多くのベンチャー企業が生まれては消えていく中で、アイデアと技術で新しい市場を開拓した人たちも登場した。
当時のIBM機はメインフレーム(大型計算機)と呼ばれ、価格は数百万ドルで専用の建物を必要とした。まず対抗したのが、DEC社である。システムを洗練し、性能は劣るが価格が1桁安い「ミニコンピューター」を生み出した。逆に、CDC社は、価格は1桁高くなるが性能はそれ以上になる「スーパーコンピューター」の市場を拓いた。さらには、多くの研究者が関わって「ワークステーション」が開発された。
80年代は価格順(同時に性能順を意味する)に「スパコン」「メインフレーム」「ミニコン」「ワークステーション」「パソコン」の五つの市場があった。
中でも、パソコンの登場は、特別な意味を持った。それまで一部の人々しか触れなかったコンピューターが、誰でも利用できるものへと変貌したからである。77年、二人のスティーブは投資家を引き入れてアップル社を設立し、AppleIを進化させたAppleIIを売り出した。価格は実に1,350ドル、重さはわずか5.4キロ、まさしく「パーソナル」なコンピューターの登場だった。悲観的な技術者ウォズニアックの「1,000台も売れはしない」という予想に対して、企業家ジョブズはこのときすでに「それぞれの家庭に1台ずつ」を夢見ていたといわれる。
AppleIIは売れに売れ、ジョブズは20代にしてフォーチュン誌の資産家ランキングに名を連ねた。しかし、ジョブズの人生は、ここからさらに波乱万丈になってくる。
82年にIBMがパソコン市場に参入すると、状況が一変した。アップルはシェアを落とし、結果として、85年にジョブズは自分が興した会社から追い出されてしまう。
私事で恐縮であるが、15年ほど前、「ブレインズ」というノンフィクションマンガを集英社ビジネスジャンプで連載したことがある。コンピューター史を黎明期から今日に至るまで描くという壮大な構想のもとに始まったが、当時の編集長の「一般受けしない」という鶴の一声で、2巻が出版されたところで休載となってしまった。
このとき調べた参考文献「コンピュータの英雄たち」(ロバート・スレイター著 馬上康成・木元俊宏訳 朝日新聞社)に、アップル社を追いだされたジョブズに対して、印象的な記述があった。「確かなのは、1970年代半ばにガレージから身を起してコンピュータ革命をもたらしたあの少年、スティーブ・ジョブズがまだ舞台から消えてはいない、ということだ。彼はまだ弱冠32歳(1987年現在)なのである」
1997年、ジョブズはアップル社に復帰した。iMac、iPod、iPad、iPhoneと次々にヒット商品を飛ばし、赤字続きだったアップル社に莫大な利益をもたらしていくことになるのは、周知の通りである。
しかし、復帰のとき、そのニュースは特に関心を引かなかった。Macintoshのシェアが小さくなっていたことに加え、業界の主役がハードウェアからソフトウェアに移っていたからである。
IBMがパソコン市場に参入したとき、大きな過ちを犯したと論じられることがある。開発の最重要部であるCPU(中央処理演算装置)をインテル社に、OS(基本ソフト)をマイクロソフト社に外注したからである。
そのお陰でいち早く市場に参入できたIBMは、パソコンでもシェアを奪うことに成功するが、コンピューターの主役をマイクロソフトに譲り渡すという代償を払うことになる。「巨人IBM」から「マイクロソフト帝国」へ。コンピューター史の大きな転換点であった。
そのマイクロソフトの座を脅かす企業が現れることなど、10年前には予想もできなかった。それを実現したのが、パソコンを初めて世に送り出したアップルであり、その中心にいたのが、一度はアップルを追われたジョブズであったことは、コンピューター史において、特筆すべきドラマとして語り継がれていくはずである。
ジョブズの有名なスピーチに「スタンフォード大学卒業祝賀スピーチ(2005年6月12日)」がある。私の所属している学科では、「技術者倫理」という授業で担当教員がその日本語訳(翻訳 市村佐登美)を毎年、学生に配布している。「Stay hungry, Stay foolish」という言葉はよく引用されるが、スピーチ全体を通しても興味深く、含蓄があることを、付記しておきたい。
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