寺岡伸章
2011年12月22日
良識と良心のある原子力の専門家は反省するばかりでなく、事故を防げなかった構造的問題は何だったのかと真剣に議論している。工学的に顕在化した事故原因は物事の氷山の一角であり、その下部にはそれを支えている潜在的原因が深く刻印されているという議論は多い。
米国スリーマイル島原子力発電所及びソ連チェルノブイリ原子力発電所で起こった過酷事故は日本では他人事と考えられ、ほとんど何も学ぶことにはならず、法的拘束力を持つ原子力規制に取り入れられることもなかった。日本の規制には安全目標もなく、品質保証重視行政に偏重していた。つまり、規制も木を見て森を見ずの状態におかれていた。
原子力専門家の中にも地震や津波に対する原子力施設の安全性問題を提起する者もいたが、真剣に議論されることはなかった。和を尊重する日本人村では秩序を乱すと考えられたのかもしれない。仮に従来の方針を変更しようとしても、地元に原子力施設の安全性を強調している手前、ゼロベースで発想することは困難な状況におかれていた。組織が柔軟性を失いつつあったとも言えよう。国と電力の責任の所在も不明確だった。このような構造的問題が浮かび上がってくる。
では、なぜ優秀な専門家は虚心坦懐に事物を見る目を失ったのであろうか。また、二度と同じことを繰り返さないようにするためにはどうすればいいのだろうか。
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