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「このアフリカを京都議定書の墓場にさせない」。COP17は、初日、アフリカ代表であるコンゴ民主共和国代表によるこの発言から始まった。会議は危機感に満ちていた。「京都議定書は延長できないだろう。日本なども議定書から撤退する。議定書は死んでいくのか」という観測が多かった。そして、2週間が過ぎた。この結果をだれが予想していただろう。

 会議は大成功で終わったのである。私もまったく予想できなかった。恥ずかしい限りだ。COP17は、京都議定書を採択したCOP3(1997、京都)以来の大成果という人もいる。ただ、会議が終わったのは、会期最終日(12月9日)を大きく超えた11日の午前5時半だった。すでに多くの国の大臣は帰国しており、最後の瞬間を見られなかった大臣が多いという異常な会議でもあった。

COP17の会議風景拡大ざわざわした雰囲気で会議は進んだ(写真はいずれも竹内撮影)

 今回のCOPは、過去の私の取材経験からいって「最悪」だった。会議終盤の、会議の運営の悪さにはあきれた。会場に人を集めたのに、「ペーパーが用意できませんでした」と散会する。正式な出席者がガードマンに阻まれて会議場に入れない。出席者に連絡がいかないまま会議が始まる……。

 すでに会期を超えていた土曜日の午前3時ごろに、代表団がぞろぞろホテルに引き上げ始めた。会議最終日翌日の未明にいったん帰る…。長いCOP取材でも初めての経験だった。「おいおい、どうするんだよう、まだ何も決まってないじゃないか。朝まで頑張るんじゃないのか」という気分だった。そして、土曜日は午前10時ごろからまた出席者が三々五々集まり、ゆっくりと始まった……。

 土曜日の夜には、さすがに「もうだめだ」の雰囲気が広がる。「韓国が再開会合に名乗り」というニュースが飛び交った。どうしても決着がつかなかった場合、再開会合(COP17・5)という選択肢がある。

 「COP17は無駄な会議になる」と多くの人が思い始めた。しかし、私も含め、多くの人が怒りの中で忘れていたことがあった。それは、

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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