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ヒッグス探しは「科学者人生」より長し

尾関章 科学ジャーナリスト

 新聞記者というものは何かあると、まず過去記事を見る。かつては切り抜き帳、今なら、データベース。そこから教えられることは多い。

 今回、欧州合同原子核研究機関(CERN)がヒッグス粒子探しで最新成果を発表すると知って、私もまた、過去記事を集めてみた。素粒子物理を長く取材してきた科学記者なので、自分が書いた記事というのもあって、懐かしいやら、はずかしいやらの思い出にも浸れたのだが、そればかりではなかった。

 1985年3月16日付夕刊の科学面に出た「加速器が開く新しい世界像」という座談会採録を読んだときは、思わずうなってしまった。当時、私は大阪科学部にいて、東京で開かれたこの座談会に居合わせていないが、紙面に出た記事のことはおぼろげに覚えている。ただ、26年たって読み返すと、あっと驚く卓見に出会うのである。

 「次の問題は、物質にはなぜ質量があるのかということで、カギはヒッグス粒子が握っていると考えられる。…(中略)…素粒子物理学の世界では今から、ヒッグス粒子が主人公の長いミステリーが始まる」

 これを語ったのは、イタリア生まれの実験物理学者C・ルビアさん。座談会当時は米国ハーバード大学教授になっていたが、CERN時代の業績が有名だ。1983年、SPSという加速器による陽子と反陽子の衝突実験で、自然界の四つの基本力の一つ、「原子核の弱い力」を媒介するW、Zという素粒子を見つけた。この仕事で翌84年、同僚とともにノーベル物理学賞を受けている。

 なによりも、「ヒッグス粒子が主人公の長いミステリー」という言葉に私は圧倒される。これは、ヒッグスが四半世紀を過ぎた今も見つからず、ようやく兆しが見えてきただけ、という現実を見事に予言している。不謹慎な冗談と言われるかもしれないが、この一点をもってして、二つめのノーベル賞を贈りたくなってしまう。

 この言葉に続けて、さらに「ミステリーの舞台」への言及がある。一つは、米国のSSC。全周87kmという超巨大加速器。1兆円規模という大盤振る舞いが議会の反発を買い、建設途上で中止になった。もう一つが、今回の実験に使われたCERNのLHC。当時からみて次世代の装置二つを挙げて、将来を見通している。

 逆に言えば、すでに80年代の時点で、素粒子実験のリーダーが、ヒッグス探しは「長いミステリー」、すなわち一朝一夕には解決しない大事業になると覚悟していたことにほかならない。

 ヒッグス探しがなぜ長丁場になるのか。物理学者たちの話を聞いてみた。

 理由の一つは、ヒッグス自身の質量を理論で絞り込めないところにあったらしい。素粒子によっては、質量はほぼこのくらい、と目星をつけて実験できるものもある。ところが、ヒッグスはそうではなかった。その結果、地図のない宝探しを強いられたのである。

 実際、ヒッグス探しでは、複数の加速器が参戦して、この質量領域にはなさそうだという実験結果を積み重ね、その裏返しとして、ありそうな領域を狭めてきた。LHCは今、最後に残された質量域で追い込みに入っているわけだ。

 私は、ヒッグスの「兆候」を伝えた小紙14日付朝刊に掲載の「巨費が支える科学の興奮」という解説記事で「一つの粒子を探すのに数十年の歳月と数千億円の装置代がかかる巨大科学の現実」と書いた。そこでは、長い歳月がもつ意味についてまでは踏み込まなかった。だからここで、そのことを少し書いておこう。

 たとえば、ルビアさんの「長いミステリー」発言があったころ、30代そこそこの若手研究者がヒッグス探しに乗り出したとしよう。その人が運良く、今も実験チームにいるとしても、定年間近まで結論を出せないできたことになる。場合によっては、最終結論は研究現場を去ってから、ということもありうる。

 科学者人生をかけて、在任中に結果が出るか出ないかわからない仕事に精励する科学者たちをみていて、私は敬意を抱くとともに、なにがその人を研究に突き動かしているのだろう、という思いに駆られるのを禁じ得ない。そこにはたしかに、人が心のどこかにもちあわせている、真の宇宙像に迫りたいという探究心がある。

 ただ、「運良く」とはならない場合も少なくない。

 94年、私はジュネーブのCERN本部を取材して、LHC計画の決定が近づいているという話を長行の記事にした。このなかで、前年に米国でSSC計画が頓挫した結果、科学者、技術者の間に「大漂流」の兆しがみられることも伝えている。「米国では、SSCの中止で科学者、技術者約二千人が職を奪われた、といわれている。米国の物理学者の四百人以上がLHCで働くことに関心を示しそうだ、との米側の予測もある」

 実際に、このうちどれだけが欧州へ移ったかのデータは持ち合わせていない。たが、いったん一つの巨大加速器構想が潰れれば、漂流はおろか、研究生活を断念しなくてはならない人さえ出てくるのは避けられまい。

 いまや、素粒子探しの挑戦は、人間尺度の時間幅を超えている。それは、あたかもバルセロナのサグラダ・ファミリアのように世代がバトンをつなぐ大事業になりつつある。

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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。

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