メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

越境し、行動する年 ― Act Beyond Borders

北野宏明 ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長

 現在、我々は、いろいろな面で、不連続な未来に直面している。日本を見ても、人口は、減少しはじめ、東北復興、原発事故に起因するエネルギー需給構造の劇的な変化が起きている。本年4月には、国内のすべての原発が停止する可能性が高い。日本は、その電力供給力の3割をわずか1年で失うという激変に見舞われている。海外でも、アラブ諸国の変革など予測のつかない変化が今なお現在進行中である。これからもこのような変化やイベントは引き続き発生する。

 これらの問題に対して元に戻ろうという努力は、実を結ぶとは思われない。新たな均衡点へ向かうと考えるべきであろう。問題は、新たな均衡点がどのようなものかである。我々は、この新たな均衡点をどのようにつくり出すかに全力を投入することが必要であろう。しかし、我々の住んでいる世界は、いろいろな現象が密接に相互作用し、「想定外」のイベントが日常的に起こるオープンシステムの世界である。このようなシステムの挙動は、我々の机の上で考えていても、わからない部分が多い。自分の想像力の範囲で、ものを考えると間違える。

 このような場合は、実際に行動し、試行錯誤をしながら次の展開を考える必要がある。もちろん、なにも考えないで闇雲に行動しても徒労に終わる危険が高い。しかし、人間の想像力は、大きな可能性を秘めていると同時に、限界も多い。

【写真1】撮影:北野宏明, 2009 (Hiroaki Kitano, 2009, all rights reserved)

 写真1をご覧いただきたい。濃霧に覆われた場所であるが、これがどこかすぐにわかる人は少ない。この場所は、昼間は、写真2にようになる。これは、アラビア半島の砂漠である。アラビア湾/ペルシャ湾に早朝発生した霧が、50km以上の内陸部に流れ込んでいるのである。このようなことは、一度わかってしまうと当たり前のことであるが、現場に立って経験してみないとわからない。

【写真2】撮影:北野宏明, 2009 (Hiroaki Kitano, 2009, all rights reserved)

 このようなことが、世の中にはあたりまえに存在する。我々の知っている世界に内側に居ながらにして、想定外の世界を想定するのは困難だ。実際の現場に飛び込み、専門を超えて問題の核心にどっぷりつかる必要がある。

 私が、社長を務めるソニーコンピュータサイエンス研究所(SonyCSL)では、「越境し、行動する研究所」を標榜し、研究者が自らのいわゆる「専門分野」を超えて現場に入り、行動していくことをモットーとしている。なぜかというと、我々は、微力ながらもこの世界をよりよい場所へと変えていきたいと思っているからだ。

 また、私が10年以上前に設立して代表を務めているシステムバイオロジー研究機構(SBI)は、”We Cure”を標語にしている。病院ではないので、直接の治療は出来ないが、システムバイオロジーにもとづく創薬や治療戦略の研究を通して世の中の役に立ちたいと願っているし、将来は、クリニックも併設したいとも考えている。

 純粋に好奇心だけで行う研究も大切である。しかし、同時に、公的資金や株主から託された資金を使って研究するときには、そこに一定の責任が伴う。それ以上に、多くの困難に面している人々、とくに、困難な疾病に直面している人々は、科学・技術研究の成果が彼らの夢や希望をかなえ、願いに答えるものであると期待しているということを研究者は理解しておく必要がある。

 不活性ポリオワクチンの開発者であるJonas Salkは、次のような言葉を残している:"Hope lies in dreams, in imagination and in the courage of those who dare to make dreams into reality." (「希望は、夢とイマジネーションと、それを現実にしようとする人々の勇気の中にある」)Salkの言葉は、医学研究の枠を超えて普遍性がある。単に研究をするだけでは無く、それを現実のものとする勇気は、まさに越境し、行動する勇気である。

 このような志を現実のものとするためには、現実に向き合う必要がある。現場から離れ、オフイスでのみものを考えていては間違えるし、自分の専門分野からの視点のみでも間違える。もちろん、現実とは距離を置いた抽象的な研究の成果が、現実世界に大きなインパクトをもたらしたことも多くある。

 研究の多様性は大切である。しかし、多くの場合、現場と遊離した研究は迫力に欠けるし、本質を外していることが多い。やはり、自分で、行動して、見て、感じることが重要であり、人々の必要とするものや、問題の核心を直接の体験として捉えることが第一歩である。たとえば、途上国の問題を考えるには、実際にアフリカやアジアの現場に行って、自分の目で見て、体験しないと本当のところはわからない。

【写真3】ガーナ北部タマレ村郊外でのパブリックビューイング (Sony CSL, 2010, all rights reserved)

 SonyCSLでは今、アフリカのガーナ北部の無電化村の自然エネルギーによる電化プロジェクトを進めている。これは、JICAの支援のもとに行われているプロジェクトである。2010年のFIFA World Cupの際に、SonyCSLの研究者を中心としたソニーチームが、ガーナ北部の無電化地域で、パブリックビューイングを自然エネルギーシステムとエネルギーサーバーで実現し、現地の人々に自分たちの代表がワールドカップの舞台で活躍する姿を楽しんでいただいた(写真3動画映像もある)。

 そのときに得た経験から、この地域をはじめとする途上国の無電化地域の電化に意義を見いだしたのである。

 今回のプロジェクトは、研究者自らが、ガーナの無電化村に滞在し、我々のシステムで電化を試行し、問題点やニーズを掘り起こすと同時に、現地の人々の発展をどのようにサポートすることができるのかを理解し、実際に着手することが目的である。実際に我々のシステムをもって現地入りしてみると、本当に大きな発見の連続である。

 日本で、国内向けや欧米向けに開発された技術を、そのまま持ち込もうとすると、まったく的外れになるが、現地のリアリティーに適合させるかたちに練り上げて提供すれば、大きな可能性が開けてくる。また、技術が、全体の問題のなかで、本当にその一部の解決にしかならないことも明らかになる。これらの課題の発見と同時に、突破口への糸口も見えてくる。

 日本の提供する技術力が、越境し、行動する技術者によって、グローバル問題解決へのアプローチになれば、我々は大きな財産を手にしたことになる。同時に、現場のリアリティーを感じれば、技術は、問題解決への一つのファクターでしかなく、ヒューマンファクターや社会的、経済的問題も含めたソリューションを編み出す必要があることが身をもって体験できる。しかし、これらの技術がなくては、解決の糸口も見いだせないことも多いことも事実だが。

 これは、医療の問題でも、途上国の問題でも、ほかの問題でも、共通して言えることであろう。研究者やエンジニアが、これらを一人ですべてを解決できるわけではない。

 しかし、自分は研究をして、それをどのように使うかは他人の仕事であるということでは、凄みのある研究はできないし、本当に世のため人のための研究にならない危険性がある。ここで、George Mason Univ.のChristopher Hill教授が、The Post-Scientific Societyで指摘したように、科学・技術と社会などの関係性を実感し、そこから価値を創造することのできる能力が重要になる。

 私がうれしいのは、このようなアプローチに共鳴してくれる人、実践している人が、研究者や起業家など、いろいろな分野で増えてきていると感じていることである。最近、日本人の留学生がハーバード大学などに入学しなくなっているという話がある。しかし、私の周囲でも、20〜30代の世代で、従来なら欧米への留学を志していたと思われる層が、途上国でのビジネスやよりサステイナブルな援助を立ち上げることに身を投じていることが急速に増えている。

 つまり、彼ら・彼女らの興味・問題意識は、ボストンではなく、バングラディシュなどに向かっているのである。彼ら・彼女らは、意識せず、ナチュラルに「越境し、行動している」のである。途上国だけではなく、多くの困難な問題に越境し、行動することで新たな展開が切り開けると信じている。より多くの志を共にする人々が、越境して行動して欲しいと願う。そしてそれが、世界を変えていることにつながって行くであろう。

 越境し、行動する。なぜなら、世界を変えることが出来るから。
 Act beyond borders, because we can change the world.

・・・ログインして読む