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法律家のホンネを露わにした「ふくしま集団疎開裁判」

中村多美子 弁護士(家族法、「科学と法」)

「ふくしま集団疎開裁判」の正式な事件名は、「教育活動差止等仮処分申立事件」である。この裁判について、少なくとも私は国内のマスメディアの報道に接することはなかった。コンパクトにこの裁判の内容を知るには、むしろ韓国の公共放送KBSをご覧いただくのがよいだろう(日本語字幕付き)。

 訴えを起こしたのは、福島県郡山市に居住する14人の子ども達だ。郡山市教育委員会を設置する福島県郡山市に対し、子ども達の通う各小中学校における放射線量の積算値が1年間の最大許容限度である1ミリシーベルトを超えているので、このような地域における教育活動の差止めと地域外の教育活動の実施を求めた。しかし、裁判所はそれを認めなかった。

 さて、「許容限度年間1ミリシーベルト」というような科学技術にかかわる行政規制基準は、これまでの裁判においてほぼ絶対的に守らなければならないものであった。行政や事業者は、行政基準は「正しい」科学的知識に基づいて策定されており、基準以下なら「安全」と主張し、裁判所も行政基準以下での危険性の立証は必要ないとするのが通常だった。

 これに対し、ふくしま集団疎開裁判は、被曝線量が基準値以上であることは科学によって明らかにすることができる。であるなら、これまでの裁判所の判断傾向からして、差止は認められて当然と思うかもしれない。ところが、裁判という手続きは、それほど単純なものではない。

 裁判という手続きに対して人々が抱くイメージはどんなものだろう。裁判所は、政治的な恣意性からは無縁で、法に基づく公平な手続きで正義を実現し、自由と権利を擁護する憲法の番人だなどというイメージがほかならぬ法律家によって喧伝されてきた。

 実際には、政策形成を目的として提訴される裁判は、かなり「政治的」だ。とはいえ、裁判所自らが「政治的」配慮を理由にした例はそう多くない。ところが、この裁判では、

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