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エネルギー危機と道州制は地方の時代を導く

寺岡伸章

寺岡伸章 寺岡伸章(日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部技術主席)

原子力発電所は定期検査後の再稼働ができないため次々と停止状態になり、原発ゼロの電力不足時代に突き進んでいるように見える。関西電力管轄内で再稼働ができなければ、今夏電力が2割も不足するとも言われている。東電福島第一原子力発電所事故は多くの被災者を生み出したのみならず、日本経済に深刻な影響を及ぼす事態になりつつある。閉塞感が日本を覆っている。忸怩たる思いをしている国民は多い。

 政治の停滞と相まって、強い改革者の登場が期待されているようにも思える。ここでは冷静になって長期的なエネルギー問題を考えてみたい。

 1972年ローマクラブにより発表された『成長の限界』は直後の石油危機と重なり現実感をもって人類に衝撃を与えた。このリポートは、「地球の人口が幾何級数的な増加を続ければ、いずれ資源とエネルギーの枯渇や環境汚染によって成長は頭打ちとなり、早晩人類に破局が訪れる」と警告を発している。『成長の限界』のシナリオはその後2度見直されたが、予測される破局の到来は技術開発の進展などで遅くはなっているものの、おおむねシナリオどおりに進行しており、依然として回避される見込みは小さい。さらに、地球温暖化の問題も重くのしかかっている。人類は危機に対して根本的な対策を打てないまま、時間をやり過ごしていると言ってもいいかもしれない。

 国際エネルギー機構(IEA)は、「2006年に石油はエネルギー生産ピークを迎えた」と発表しているが、一方でシェールガスなどの非在来型天然ガスや新しい石油の発見で需要に対応できるとの予測も提示している。楽観的過ぎる嫌いがある。化石燃料生産がもうすぐ減少していくと認めてしまうと、世界経済がパニックに陥るとの判断が働いているのだろう。不都合な真実なのだ。

 その陰で、オバマ大統領はGMの電気自動車開発、長距離輸送の鉄道利用、原発の推進など脱石油政策を着々と進めている。中国がアフリカで資源とエネルギーの獲得外交を展開し、原子力開発に積極的になったり、自然再生エネルギー開発投資で米国を抜いて世界一になったのは化石燃料の枯渇を念頭においているからである。

 我々日本人は石油枯渇はずっと先のことであるという自ら神話を信じていないだろうか。3.11大震災で経験したように、驚天動地の危機は突然やってくると思っていたほうがむしろ自然なのだ。

 化石燃料減耗時代の到来はエネルギー危機を意味する。現代の豊かな生活は石油文明と言ってもよいが、2020年前後から日本に輸入される石油は毎年数%減少していくという試算もある。そうなると、GDPもそれに比例して低下していく。来るべき時代は豊かさの尺度をマネーで計測できなくなる。原子力発電所の再稼働問題が議論されているが、その陰でエネルギー危機が進行していることを忘れてはならない。

 あらゆるエネルギー確保の可能性を探ることが必要である。開発を急ぐべし。自然再生可能エネルギーも原子力(核融合、高温ガス炉、トリウム炉など)もエネルギー源の開発が必要であるのだ。メタンハイドレートが日本近海の海底に大量に埋蔵されていると言われるが、獲得されるエネルギーとそれを獲得するために必要なエネルギーの比、つまりエネルギー収支比(EPR)が低ければ、エネルギー資源を掘削することは困難である。原子力発電のEPRはかなり高いことを再考すべしである。

 石油は輸送、暖房など万能のエネルギー源であるばかりでなく、プラスチックなど化学製品の原料でもある。原子力は石油の一部の代替はできても、全体の代替はできない。3.11大震災直後の電気や物資が不足する不便な生活は、我々が時代を先取りして経験したことである。あの生活が常態化する恐れがある。

 化石燃料減耗量は自然再生エネルギーでも原子力でも補うことができないだろう。すると、徹底した省エネ社会にならざるを得ない。家電製品の省エネのイノベーションは起こるだろうが、それでも不十分だ。石油に満たされた慣れ親しんだ世界は、3.11大震災で先行経験したように崩壊していく。

 豊富なエネルギー消費を前提としている大都市の存続は難しい。食料や工業製品の地産地消を進めなければならない。人口や生産活動の地方分散は必然となる。食料自給率39%を考えると、このようなポスト石油時代に備えて、食料自給のために農漁業生産の増強に取り組まなければならない。

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