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原発の再稼働問題:原子力の安全ガバナンスからの分析

吉田文和 愛知学院大学経済学部教授(環境経済学)

今回の原発災害の原因背景分析として、私は原子力の環境ガバナンスという視点からの分析が必要であると考える。環境ガバナンスという考え方は、環境問題を政治経済学的に分析する方法で、環境問題に関する「制度、法律、慣習」と「各アクターの戦略とその条件」との相互作用の解析を通じて、問題の所在と解決の展望を見出す方法論である(吉田文和『環境経済学講義』岩波書店、2010年、第4章参照)。法制度が各アクターを規制すると見る一方で、各アクターの相互作用によって法制度がつくられるという側面も見る。電力会社は政府の基準と規制に従って運転したから、政府に責任があるというが、実際には、その基準と規制そのものが電力会社の働きかけによって作成されてきた経緯がある。

 原子力に関する日本の法制度と規制は、旧科学技術庁下の原子炉等規制法の規制と旧通産省・資源エネルギー庁下の電気事業法の規制の二元的な規制のもとにおかれてきた。しかし、環境問題としての放射能汚染については、環境基本法から除外され、原子力基本法などに定めるとされながらも、その法律には具体的な定めは存在しない。わずかに、原子炉等規制法第64条や原子力災害特別措置法第26条があるが、大規模かつ広範の放射能汚染を想定したものではない。しかも津波、地震や全電源喪失など過酷事故対策は、具体的な法規制がなく、事業者の自主的な取組に任されてきたのである。

 こうして日本では、狭い国土に54基もの原子力発電所を全国に立地させながらも、大規模な原子力発電所の事故による放射能汚染に対処する具体的な法制度がないままに40年以上、操業が許されてきたのである。福島の事故が実際に起きて、原子力発電所の事故そのものへの対応と放射能汚染への対応が後手、後手に回ったのは、ある意味では当然なのである。しかし、このことに意味するところは重大である。このような法制度の抜本的改革のないままに、今後、地震活動の活発化が懸念される日本列島において、原子力発電所を再稼働させようとする動きがすすめられていることである。

 つぎに、原子力発電をめぐるアクター(参画者)分析にうつる。最大のアクターは電力事業者であり、日本では地域独占と総括原価方式を許された9電力が原子力発電を行うほか、日本原子力発電などの事業者も存在する。その他、重要な事業者アクターは重電メーカーであり、東芝、日立、三菱などが原子力発電所の建設から維持管理までと下請けの重層構造がある。もともと日本の商業用原子力発電はアメリカからの技術導入ですすめられ、福島第一原子力発電所はGEによって建設され、当時「GE村」ができたほどである。外国からの輸入技術などで外国の安全基準で原子力の安全が保証されるとされ、基準も翻訳されたものが多いなかで、日本には固有の地震と津波という問題があるにもかかわらず、安全規制のあいまいさが残ったままであった。

 これに対して政府アクターは複雑で、国産原子力技術の開発をすすめる旧科学技術庁(現文科省)が原子炉等規制法を担当し、旧通産省・資源エネルギー庁が「国策民営」の原子力発電をすすめる電気事業法を担当するという「2元体制」ができた。しかし1980年代、1990年代を通じて、この科技庁とエネ庁の権限争いと行政隔壁が安全確保のための阻害要因となり、規制の高度化のために行政アクター側の力を結集できなかった。文科省所轄のSPEEDIのデータが避難計画に活用できなかった遠因は、ここにある。

 2001年の省庁再編により、原子炉等規制法は文科省が担当するものの、実際の検査は、経済産業省の原子力安全・保安院(330名)が行い、その結果を内閣府の原子力安全委員会が承認し、ダブルチェックすることになり、原子力エネルギー推進の経済産業省のもとで安全規制を行うという利益相反問題と規制体制の複雑化が起きた。実際には電力会社側アクターに圧倒的に情報と人材があり(情報の非対称)、保安院などの規制側アクターには人材不足と電力会社との「もたれあい」がすすんだ。保安院の幹部はスペシャリスト化が遅れ、経済産業省内部の交替人事であり、福島の事故当時の寺坂保安院長は経済学部出身、広報担当の西山審議官は法学部出身であった。真の意味でのプロフェッショナルが育たず、「原子力ムラ」が残るということになったのは不幸である。関係する研究機関が研究成果を出しても保安院が生かせない状態であった。実際、JNES(原子力安全基盤機構、480名)は、津波で炉心溶融損害の可能性を報告していたのである(原子力安全基盤機構「地震時レベル2PSAの解析(BWR)」2010年10月)。

 チェルノブイリ事故で過酷事故対策が日本で問題になった際に、過酷事故対策を考えることが、原発が安全でないことを認めることになると考え、政府側は全国の原発訴訟を考慮し、電力会社は原発立地の地域のことを考え、政府と電力会社双方が規制ではなく、自主的な取組にすることになったという説明も行われている(NHK『シリーズ原発危機、安全神話』2011年11月27日放映)。

 保安院原子力防災課長は、政府事故調査・検証委員会の聞き取りに対して、「AM(過酷事故対策)は、自主保安の領域で、規制ではないという位置付けになっていたので、目の前の規制課題に集中し、振り回されていた」(中間報告書、429頁)と述べているように、2002年の「トラブル隠し」事件以来、「木を見て森を見ない」細かい規制と報告への対応に気を取られ、本質的な過酷事故対策が後回しになり、自主的取組に任されたことは最大の問題であり、かつ規制側も行政アクター間の役割分担と地方自治体と協力体制の構築が遅れたのである。未だに緊急時の避難計画は、直接の原発立地町村だけを対象としたものが多く、全く不十分であることは、今回の福島の事態が示している。 ・・・ログインして読む
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筆者

吉田文和

吉田文和(よしだ・ふみかず) 愛知学院大学経済学部教授(環境経済学)

1950年生まれ、兵庫県出身、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。北海道大学大学院経済学研究科教授を経て2015年から現職。北大名誉教授。専門は、環境経済学、産業技術論、主著『ハイテク汚染』岩波新書、『環境経済学講義』岩波書店、最近は低炭素経済と再生可能エネルギーの普及に関心を持つ。札幌郊外の野幌原始林の近くに住み、自然観察と散歩を趣味とする。

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