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2011年3月11日の地震と津波によって、福島第一原発が事故を起こしてから三十数年たった。原発の再稼働、再処理の中断と再開、そしてその再処理工場の爆発事故と、事態はめまぐるしく動いた。このレポートでは特に、放射性廃棄物の中間貯蔵と処理を中心に、経過を追ってみたい。

 

 たとえば今日、「自衛隊」が実質軍隊を意味するのと同様に、「中間管理」という語は「永続管理」の意味で使われる。この一見奇異な顛末(なんでそうなったのか?)が、学術横断的なアプローチによってはじめて理解可能となる。

 

 急性の危機が過ぎた後、 地域の経済復興がまず急務とされた。が同時に、増え続ける汚染廃棄物の処理も深刻化して行った。結論を先に述べれば、このふたつが見事に噛み合い解消しあったというのが、この間の真相である。

 

 汚染物処理の問題を先に述べると、その中身は、漏洩し続けた放射性物質による汚染ごみ、がれき、植物、汚泥など多様だった。

 福島事故の翌年の時点で、汚染された汚泥や焼却灰、除染に伴って生じた汚染土で処分が滞っているものが関東だけで十数トン、東北全域を足せばその数倍〜数十倍と推定された。各町村のごみ焼き場は、行き場を失った汚染焼却灰であふれた。

 当初国は埋め立て基準を定め、費用と責任は国が持つとした。が、終末処理場や埋め立て地周辺の住民からの(当然の)反対に合い、立ち往生した。

 そして。これはまだ序の口だった。

 核燃料再処理工場(青森県六ヶ所村)は、頻発する事故や技術的障害で、一度は破綻に追い込まれた。だが、

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筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

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