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 自分自身による評価と周囲の人々の自分に対する評価が異なるように、日本の自己評価と海外の日本を見る目は大きく違うことに留意すべきである。

 例えば、日本人は唯一の核兵器被爆国として、核兵器の廃絶を心から望んでおり、将来核武装する可能性は限りなくゼロに近い。これは普通の日本国民の素直な気持ちである。しかし、周辺国が日本をどのように見ているかは別である。

 日本政府は1991年、「核燃料サイクル計画の推進に当たって必要な量以上のプルトニウムを持たない」との原則を打ち出した。プルトニウムは原子力発電所の燃料になると同時に、核兵器の材料にも転用することができる。実際に長崎に投下された核兵器はプルトニウム型の爆弾であった。

 日本は平和目的以外に使用されると疑われるような、いわゆる「利用目的のないプルトニウム」を持たないと海外に宣言しているのだ。日本政府は海外に向けて平和国家を堅持し不要な懸念を払拭するためにこのような原則を打ち出し、1994年からプルトニウム量を公表している。

 日本は核不拡散条約(NPT)に加盟し、IAEAの査察も受けているので、核兵器を秘密裏に製造することは実質的に不可能である。にもかかわらず、周辺国の北朝鮮、中国のみならず、米国などの国々も日本の核武装を警戒している。日本は十分なプルトニウムを持ち、かつ核兵器製造に必要なハイテク国でもあるので、いざとなれば1年で核兵器を開発できると周辺国は考えている。

 国際政治は複雑で、時には冷酷である。日本国民が核武装の意図を持っていなくても、相手国がそのように懸念することの意味を考えるべきである。ロシア、中国のみならず北朝鮮もすでに核武装している。韓国もかつて核武装計画を検討したといわれている。

 周辺国は日本が核武装すれば極東の軍事バランスが崩れることを警戒しているのだ。米国や東南アジアの国々もそう思っている。日本の世論がナショナリズムに傾かないように彼らは気をつかっているのである。だから、領土問題などで日本に過激な圧力をかけることには慎重であるともいえる。

 つまり、皮肉にも潜在的核武装の懸念が日本の安全保障に寄与しているのである。

 仮に、日本が脱原発を国是に掲げ、原子力技術を一切放棄してしまうと、周辺国は日本の核武装の可能性はゼロになったと考えて、さらに領土問題のみならず、外交でも高圧的な態度に出てくるのは間違いがないと思われる。極東地域では、冷戦はまだ終わっていないと再認識する必要があろう。日本の弱点を知りつくしている中国は日本を手玉にとる恐れがある。

 厳しい国際政治では、力の空白域に強い勢力が進出してくる。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という訳にはいかない。

 中国のGDPの伸びを考えると、十年後には中国のGDPは日本の2~3倍に膨れ上がり、その規模は米国と対等になるだろう。日本は安全保障を米国に、経済は中国に依存しているといういびつな形である。国力が衰えつつある超大国の米国が日本をいつまでも守ってくれるとは限らないし、過度な期待をすべきでもない。自国で安全保障を確保するという意気込みを持たなくてはならないと思う。

 一方、米国は金融資本主義が日本社会に参入できるように、各種の規制緩和、株主主義の徹底、日本式労働慣行の修正、ケイレツ破壊などを要求してきた。それらは1980年代の日米構造協議以来、年次改革要望書として日本政府に提出され、日本社会は米国化され共同体の破壊が進行した。

 その後、米国は年次改革要望書の後継ともいえるTPPを突然要求してきた。米国の要求は止まるところを知らない。日本は背景に中国脅威論があり、安全保障を米国に依存しているという引け目があるために、米国の要求をあまり国内で議論せずに受け入れてきた。

 日米同盟を揺るがす必要は毛頭ないが、核物質に隠された威力を認識し、祖国を自ら守るという意識を涵養し、日本国民が共有すべきである。経済や社会の自立性を守るのも広い意味での安全保障であるからだ。

 石油生産減少時代が間近に迫っていることを考えると、人智に依存する原子力も自然再生エネルギーの開発も必要であるが、原子力は安全保障の手段にもなることを常に念頭においておく必要があろう。

(本稿で示されている見解は、筆者個人のものであり、筆者が所属する組織のものではない)

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筆者

寺岡伸章

寺岡伸章(てらおか・のぶあき) 寺岡伸章(日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部技術主席)

【退任】日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部技術主席。熊本県生まれ。東工大修士課程修了。旧科学技術庁・基礎研究推進企画官、タイ国家科学技術開発庁長官顧問、国立極地研究所事業部長などを経たあと、06年6月~10年9月まで理化学研究所中国事務所準備室長(北京)を務めた。中国の科学技術事情に詳しい。小説、エッセーの執筆も。※2012年3月末退任

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