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軽水炉の出口戦略の提示で原子力再生の道を

寺岡伸章 寺岡伸章(日本原子力研究開発機構核物質管理科学技術推進部技術主席)

原子力技術者は元気がない。

 東京電力福島第一原子力発電所事故を受けた今後の原子力政策のあり方を巡り、原子力推進派と反対派の主張がガチンコの状態にあり、まだ事態打開の道筋が見えていない。

 推進派は、エネルギー資源の乏しい日本にとって原子力は準国産エネルギーともいえるものであり、経済活動の発展を支えるのみでなく、生存基盤の一翼を担うものであると主張する。さらに、脱原発で自然再生エネルギーに頼るのは技術的にも、経済的にもほとんど不可能と主張する。

 反対派は、福島原子力事故は一歩間違うと東日本を滅ぼしかねないものであったため、原子力との共存は不可能だと指摘し、今こそ日本の技術と知恵の総力を結集して、エネルギーイノベーションにより危機を乗り越え、新しい文明社会を構築していくべきだと語る。

 両者の主張は大きく隔たっているため、専門知識に乏しい国民はどちらに寄り添うべきかと不安を募らせている。安全で安心できるエネルギーの確保を願う一方で、福島原子力事故によって政府と専門家に対する信頼は揺らいでいる。

政府がどのような政策をとるにしても、国民の信頼回復は最重要課題であるのは議論を待たないであろう。国民の信頼回復は、政治の安定と国の一体感を取り戻す機会であり、将来の安心の確保につながる。

 誤解を恐れずに言えば、国民が脱原発を願っている以上、それに答えることは民主主義国としての責務であり、その具体的な道筋は原子力に関する高度な知識を持ち推進してきた専門家に頼らざるを得ない。原子力ムラの延命としてではなく、国民の気持ちに寄り添って、専門知識を踏まえた軽水炉の出口戦略を提示することが必要ではないのか。

 戦後、主要国は相次いで核技術の導入に邁進したが、それは核兵器であろうが、原発であろうが、核技術がもたらす巨大なエネルギーの取得なしには国際社会での発言権を確保できないと考えたからである。厳しい国際社会で生きる上では避けられない選択であったのである。

日本は核兵器を持つことなく原子力の平和利用を推進してきたし、その選択は間違っていたとは思わない。

 福島第一原子力発電所事故を完全に終了させるためには、サイト内のデブリの放射線計測、撤去を行わなければならないが、専門家の高度な知見と今後の技術開発を進めていかなければならない。

 軽水炉からの脱出はエネルギー問題に直結するのみならず、日本の安全保障や外交にも少なからず影響を及ぼすはずである。極東のパワーバランスへの影響も専門家が真剣に議論すべき課題である。

 国民が懸念している高レベル放射性廃棄物の処分についてもサイトを探すのみでなく、再利用も含めた方法の研究開発を急ぐべきである。例えば、放射性廃棄物を有用物質と捉えて、希少物質であるレアアースなどを取り出すことも検討すべきだ。

 高速増殖原型炉と再処理工場の事故と故障に対する国民の信頼を獲得するために、技術とマネジメントの両面からその対応策を徹底的に取り組む必要がある。さらに、国際社会のセキュリティ確保のために、核拡散抵抗性の高い高速炉の開発にも、日本は米仏と協力して主体的に取り組むべきである。もしそれを怠れば、露中などが核拡散抵抗性を軽視した高速炉を開発し、デファクトスタンダードとして世界に普及させ、核拡散の危険性を高めるようになると危惧される。

 また、核物質の世界への拡散を防ぐためにも、核物質の出所特定のための核鑑識技術などの開発に努めるべきである。

 原子力技術は軽水炉だけではない。トリウム熔融塩炉など一層安全な技術もある。核連鎖反応を起こさず、高レベル放射性廃棄物を生成しない核融合発電炉も有望な技術と考えるべきである。

 このような軽水炉技術の代替案を提示することで、国民のエネルギー確保の不安を軽減することができよう。さらに、軽水炉を導入しようとしている新興国にも、出口戦略は将来のエネルギー戦略を描く上で役に立つはずである。

 「たつ鳥、あとを濁さず」。

 これは日本人の美意識を表す言葉だ。軽水炉を日本に導入した専門家は同時に、長い時間がかかるかもしれないが、軽水炉からの脱出にも責任を有していると考えるべきである。技術にも寿命がある。どのような技術でも社会に受け入れられなければ意味がないと考えるべきであろう。

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