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東京を救ったのは菅首相の判断だったのでしょうか?

伊藤智義 千葉大学大学院工学研究院教授

3月9日付で公開された竹内敬二さんの論考「東京を救ったのは菅首相の判断ではないか」が、しばらくの間アクセスランキングの上位にあり続けた。注目されている証しだ。読者の反応が「YES」なのか「NO」なのかはわからない。ただ、私自身は、この論考のタイトルを見たとき、「それはさすがに言い過ぎではないかな?」と思った。他の人はどんな意見を書くのかと見ているのだけれど、一向に掲載される気配がないので、自分の意見を述べることにした。

 経済産業省の原子力安全・保安院が福島第一原発事故を評価レベルとして最悪のレベル7へ引き上げたのは、震災発生から1ヶ月経った4月12日である。この日を契機に、私は大震災で感じたことを文章に書き始めた。記憶が風化しないうちに、「そのとき」を書き留めておく必要を感じたからである。個人的なブログで公開しているので、興味のある方は参照頂ければ幸いである。

 その中で、菅首相が東京電力に乗り込んでいったことについても記載した。「残念ながら、そこに理性は感じられない。実際に、事故現場で命をかけて闘っている人々がいる中での発言である」と酷評した。さらに、次のように続けた。

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 この背景について、朝日新聞3月16日朝刊3面に、次のように報道されている。「首相の元にはある閣僚経由で『東電側が福島第一原発からの社員引きあげを検討している』との情報が寄せられていたのだ。首相は先手を打ってクギを刺したのだった。首相周辺は『東電にすべて任せていたら、勝手に作業を打ち切ってしまいかねない。それを防ぐには政府が乗り込むしかない』」

 そういう意図を印象づけるためのパフォーマンスだったのかもしれない。しかし、指揮系統のトップであれば、感情的な姿勢を見せるのは、逆に周囲に不安を与えかねない。事故対策において、冷静さは第一条件だからである。

 作業現場では人命が関わっている。当然ながら、「全員撤退」という事態も想定しておく必要がある。

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 現在、東京電力が「全面撤退」と言ったか言わなかったかが論点の一つになっている。あの当時、言葉尻一つが、それほど重要な問題だっただろうか。人命がかかっているので、たとえ「全面撤退」と発言してもおかしくはないし、そう発言したからといって、対策を放棄できる状況ではなかったはずだ。「国難」なのである。

 竹内さんの文章に、

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