下條信輔
2012年04月04日
日本は、東日本大震災後の昨年10月、べトナムに原発を輸出することで合意。中東でも受注を目指すという。先の緒方発言は、こうした経緯に危惧を表明したものだ。
ここで連想するのは、ドイツとフランスの関係だ。ドイツが脱原発に一気に舵を切れたのは、一説によればEU圏、特にフランスからの電力輸入のアテがあるからだという。
これに対して「なんだ裏があったのか、けしからん」というのが普通の反応だろう。しかし「隣人同士で利害を補い合って、良いではないか」という考え方もあり得る。
もとよりドイツには、隣国の原発推進という国策を変える力も、権利もない。ならば隣国にとっても歓迎される電力の「買い手」となることで、自国の脱原発の理想に近づこうとするのは、現実的な選択だ。
ドイツのやり方はいいが、日本のやり方は許せないというふうに、きれいに線は引きにくい。事態は連続的だ。
ここで事実上問題になっているのは、どういう集団の単位で利害を考えるか、どういう社会集団に自分の利害を重ね合わせるか、という問題だ。
この意味で、少し飛躍するが動物の利他行動の研究が面白い。利他行動というのは、自己を犠牲にしてまでも仲間を救う、あるいは助ける行動のことを指す。これを生物学的に説明する上で、英国の動物行動学者R. ドーキンスの「利己的遺伝子」説が大きなインパクトを与えた。一見利他的に見える行動も、自己の遺伝子の拡大再生産で説明しようとする考えだ。
だが広い動物界には、これで説明しきれない利他行動もある。たとえばヒトはしばしば、自分の子孫に直接利害がなくても集団のために自己を犠牲にする。その甚だしい例は「戦争に行く」ことだ。
ヒトは知的に高等で、倫理的にも高潔な動物だから、と言えば通りがいいが、生物学的には成立しない。たとえばアリなどの社会性昆虫にも、利己的遺伝子で説明できない利他行動が見られる。しかもそういう行動が淘汰されず、生き残っている。
世代を超えた遺伝子のふるまいを数学的モデルで理解する、数理生態遺伝学という分野がある。その最新モデルによると、そうした利他行動の遺伝子が世代を超えて生き残ることは、ある条件を満たすときには、十分予測できるという。
その条件というのは、
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