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東京を救ったのは、東電の工事の不手際だった

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

東京を救ったのが菅首相の判断だったのかどうか、WEBRONZAでの議論が注目されている。福島原発事故を振り返ってみれば、運命の分かれ目は4号機の使用済み燃料プールだった。原子炉内部材の取り換え工事中だった4号機では、すべての核燃料がプールに入っていた。この燃料が溶けなかったから、日本は「最悪のシナリオ」を免れた。なぜ溶けなかったのか。それは、ふだんなら水のない原子炉上部が水で満たされ、偶然、それがプールに流れ込んだからだ。3月7日までに水を抜く予定だったのが、不手際のために工事が遅れ、水がそのままになっていた。東京を救ったのは、これだった。この東電の不手際がなければ、菅首相が東電撤退を一喝しても東京を救えなかったかもしれない。

 4号機の使用済み燃料プールの危険性は、いち早く米国が指摘していた。米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は3月16日に米国の下院公聴会で「4号機の核燃料プールでは水がなくなっている」と証言した。水がなくなっていれば、燃料の温度はどんどん高くなり、やがて溶け出して放射性物質が出てくる。原子炉の中の核燃料は圧力容器と格納容器に二重に閉じ込められているが、プールの中の核燃料は無防備だ。そのまま大気中に広がっていく。そう判断したから、米国は80キロ圏内からの避難を求めたのだった。

 当時、日本の専門家の間でも燃料プールに対する危機感は高まっていた。東電は15日に前日の水温が85度だったと発表し、これを元に「あと数日で水は完全に蒸発する」といった計算結果がインターネット上に公開されもした。

 放水準備のために16日に原発上空を飛んだヘリコプターから「4号機プールの水面が見えた」という報告があったものの、「見間違いではないか」と不安は消えなかった。約58メートルの高所までアームが伸びるコンクリートポンプ車が22日に導入されたあと、プールの水を採取して分析。「放射能濃度が低いとわかって、心の底から安心した」と、分析に当たった日本原子力研究開発機構の幹部はいう。逆にいえば、その時まで当事者もプールの状況について確信が持てないでいたわけだ。

 もし、4号機プールの水がなくなって放射性物質の放出が始まったら、どうなっていたか。

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