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プレートテクト世代の「列島改造」論

尾関章 科学ジャーナリスト

 よりにもよって4月1日だった。うそであってほしい。そう思った人も多いことだろう。

 日本列島南側の海域、すなわち東海、東南海、南海の一帯で予想される「南海トラフ巨大地震」。その津波の高さが最大34mに及ぶ、という内閣府有識者検討会の推計結果は小紙も新年度初日、朝刊1面トップで伝えた。

 この「34m」は、高知県黒潮町で想定される津波高。海が10階建てのビルよりも高くなって押し寄せてくる、というのだから想像を絶する。それだけではない。なによりも私たちの背筋を凍らせたのは、東京都の島々から九州まで11都県90市町村で10mを超える津波の恐れがある、という見立てだった。3階建ての屋上に駆け上がっても逃げきれないかもしれない、というわけだ。

 これは、最も深刻なシナリオをつなぎ合わせた「最悪版」の想定である。だから、巨大地震が起こったら必ずこの高さの津波がくるわけではない。実際には、ゼロからこの数値までのいずれかの高さの津波に見舞われる、とみるべきだろう。だからとりあえずは、列島南側の海辺のまちむらでは、要避難の津波がくることを前提に、津波警戒の情報をすばやく広めたり、逃げ場所や逃げ道を整えたりすることを急がなくてはならない。

 ただ、今回の「34m」の衝撃は、政府や自治体に対策を促すという以上の意味がある。それは、私たちが日本列島の未来図を設計しなおすきっかけになるだろうということだ。

 それは、私たちが、歴史上初めて南海トラフ沿いに100~150年に1回の割で巨大地震が起こるだろうことを、科学をもとに確信する時代に生きているからである。

 1854年の安政東海地震や安政南海地震のころも、それぞれの土地で祖先が体験した地震や津波が語り継がれていただろうが、たぶん天地の怒りのようなものと受けとめられ、神仏に祈願すれば再来を回避できるという発想すらあったのではないか。

 1944年の昭和東南海地震、1946年の昭和南海地震のころは、さすがにそんな考え方は薄れていただろうが、まだ、これらの巨大地震を起こすしくみは判然としていなかった。

 転機は、1960年代後半である。地球科学者の間で、地球の表面は何枚かの大きな岩板(プレート)に覆われており、それらは動いて互いに力を及ぼし合っている、とするプレートテクトニクス理論が確立した。それを裏付ける観測事実も次々に現れた。日本列島の周辺には、一つのプレートの下に別のプレートが沈み込む箇所があり、そのプレート境界にたまったエネルギーが巨大地震をひき起こすことがわかったのである。

 100年~150年という南海トラフ巨大地震の間隔は偶然の産物ではなく、エネルギーがたまっては解放され、たまっては解放される周期だったことになる。裏を返せば、巨大地震は、祈っても願っても避けられるものではなく、確実に繰り返すことがはっきりしたとも言えよう。

 私たちは、最初のプレートテクトニクス世代として、周期現象として起こる巨大地震に備えなくてはならないのである。 ・・・続きを読む
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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。1週1冊のブログ「本読みby chance」を開設中。

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