2012年06月28日
この法律は、東京電力福島第一原発の事故で今問い直されている戦後日本の原子力政策の起点ともいえるものだ。1955年に定められた。そこには、戦争で原爆のむごたらしさを見せつけられ、「核兵器を二度と使わせてはならない」と思う日本国民、とりわけ科学者たちの議論が反映されていた。第2条に「平和の目的に限り」という基本方針を記し、知らないうちにそれがないがしろにされないよう「民主」「自主」「公開」3原則の釘も刺してある。
今とは違って原子力にバラ色の未来を思い描く人が多い時代にあっても、いや、そういう時代だからこそ、「平和の目的に限り」は譲れない一線だったと言えよう。
今回の基本法改変は、遅れ遅れになっている3・11後の原子力安全体制づくりが急がれるなか、民主、自民、公明の3党合意をもとに駆け込み成立させた原子力規制委員会設置法の付則に盛り込まれていた。もともと自公案にあったものだ。混迷国会のドサクサのなかで、野党案の文言が急に日の目をみることになったのである。
基本法の「平和の目的に限り」を残しつつ、同じ第2条の後段に「安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」との一文を追加したのだ。
参議院の委員会でなされた質疑では、与党民主党の議員が「非核三原則を変える、核武装をやるという表明なのか」と問いただした。法案づくりにあたった自民党の衆議院議員はそれを否定して、この文言は、これまで文部科学省などが担ってきた「保障措置」の仕事を原子力規制委員会に移すことを意味する、という趣旨の説明をした。保障措置は、国際原子力機関(IAEA)が核物質の軍事転用などを阻むためにとる方策で、それにかかわる業務を規制委が引き受ける、というわけだ。
この答弁で出された想定事例には、あぜんとした。それは、こういう筋書きだ。
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