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こんな「人災報告書」が出ても再稼働なのか

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

福島原発事故にかんする国会事故調(黒川清委員長)の報告書は、おおむね、まっとうな内容だ。東電と国に厳しく、両者の癒着構造を指弾する一方、被災住民や原発作業員への視線はやさしい。多くの人に読んでもらいたい。

 報告書は原発事故を「人災」と断じている。地震や津波へのリスクへの警鐘があったにもかかわらず、東電が対応を怠ってきたからだ。国の規制当局(保安院)は、これを監視するどころか、東電と癒着し「規制する側と規制される側が逆転し、規制当局が電気事業者の『虜(とりこ)』の構造になっていた」という驚くべき構造を浮き彫りにしている。

 そして、「関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思い込み、常識)であった」と言い切っている。

 読めば読むほど、過酷事故への無防備さが明らかになる。報告書をまじめに読み、指摘を真摯に受け止めれば、やるべき対策は多く、簡単に「再稼働」とはいえないことがわかってくる。

 私は、国会事故調がこれほどきびしい内容の報告書を出してくるとは思っていなかった。国会事故調は6月9日に「論点整理」なるものを発表している。そこでは、こうした原発ムラの構造などへの切り込みは感じられず、事故直後の官邸の対応と、いわゆる東電の「全面撤退問題」にばかり焦点を当てている印象だった。それも、菅首相(当時)や、枝野官房長官(同)の言い分は無視し、都合の悪い電話の会話を「記憶にない」といっている清水正孝・東電社長(同)の言い分を採用している偏った内容だった。その流れで最終報告書も書かれると思っていた。

 しかし、いい意味で予想がはずれた。「最終報告書」は、「論点整理」が示した方向性、内容とあきらかに異なっている。論点整理のあと、批判を受けて内容を変えたのか、あるいは、内容は元から一緒だったが、論点整理では一部だけを変な方向に発表しただけなのか。気になるところだが、詳しく知るところではない。

 さて、その内容だが、まず、撤退問題について「最大の責任は、東電の最高責任者という立場でありながら、最低限の人員を残すという重大な事実を伝えられず、あいまいで要領をえない説明に終始した清水社長にある。東電は官邸の過剰介入や全面撤退との誤解を責めることが許される立場にはなく、むしろそうした混乱を招いた張本人だった」とまとめている。

 私は、この報告書とは少し違う立場だ。社員の会話から「最後には10人ほどしか残らないことがありうる」という認識があったことが明らかになっている。それでは6基の原子炉の制御はできない。要は「何があっても6基の原子炉を制御し続ける意思があったかどうか」である。報告書は、撤退問題について真実に迫れていないと思う。これからも注視していきたい。

 そのほかの内容はどうか。内容をひとことでいえば、東電自身による調査(東電事故調)の報告書(6月20日公表)を否定するものだ。

 東電事故調は、1)事故の原因は想定外の巨大な津波。地震では重要機器は壊れなかった。

 2)事故後の作業に問題はなかった。

 3)首相官邸の過剰な介入が無用の混乱を招いた、というものだった。

 つまり、事故は異常な天変地異が招いたもので防げなかった。その後の作業に間違いはなかった。しかし、首相等の介入が邪魔だった。

 これはさすがに自己弁護、責任転嫁が過ぎる内容である。これに対して国会事故調は、

 1)「津波単独犯説」は間違い。津波だけでなく、その前の地震の揺れでかなり壊れた可能性がある。老朽化も問題。大きな津波の警鐘は何度も鳴らされていたが、東電は対策をおろそかにしてきた。

 2)東電の過酷事故対策は不十分で訓練不足。ベント(排気)の操作訓練は一度もなく、十分な図面もなかった。過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練がなされていれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。

 3)「全面撤退問題」については先述の通りだが、この他にも官邸は細かい介入をしており、「被害を最小化できなかった最大の原因は緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界があいまいであったこと」と結論づけている。

 こうした事故に直接関係する点のほか、背景にある構造的な問題にも踏みこんでいる。電力会社は、何か新しい知識で規制が強化されることを強く嫌がったという。新たな補強工事などが必要になれば、「じゃあ、これまでは危なかったのか」といわれるだけでなく、原発全体の稼働率が下がることにつながるからだ。このため電気事業連合会は過去からの無謬性の維持にとらわれ、新たな知識で新たな補強をし、原発をより安全にするのではなく、規制を導入しないこと、あるいは規制の骨抜きに力を注いできた。報告書は次のように書いている。

 「歴代の規制当局と東電との関係においては、規制する立場とされる立場の逆転関係が起き、規制当局は電力事業者の『虜』になっていた。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことを鑑みれば、今回の事故は『自然災害』ではなく、あきらかに『人災』である」

 そもそも日本の電力会社は過酷事故が「本当は起きない」とおもっているので対策も中途半端になっている。欧米では過酷事故のきっかけになるものとして、「機器の故障」など内部事象だけでなく、地震、洪水などの「外部事象」、さらにはテロのような「人為的事象」も考えている。日本では外部事象は地震だけが対象で人為的事象は考えていない。

 したがって、欧米では、「全電源喪失などが発生した」として、そこからの対策を考える。米国では、3年に一度ほどの割合で「模擬テロ」訓練があるという。そのときには武装した人間が原発に押し入るという形をとる。

 過酷事故への無防備さについて、本当は多くの人が気づいていた。原子力安全委員会の班目春樹委員長は国会事故調に対して「過酷事故を考えていなかったのは大変な間違いだった。国際的な安全基準にまったく追いついていない。ある意味では30年前の技術か何かで安全審査が行われている」といっている。安全委員長にしては他人事にすぎる感があるが、これが真実なのだ。

 そして今、関西電力・大飯原発の再稼働が決まり、電力会社は他の原発も早期の再稼働を望んでいる。しかし、過酷事故への新たな備えといえば、停電に備えて電源車や消防ポンプを多めに配置したことくらいで、原発そのものは実質的にはそれほど変わっていない。大飯でも免震事務棟の完成は3年後だ。テロなどは考えていない。「電源車を増やしたから全電源喪失は起きない」という「第2の安全神話」に頼っているようなものだ。

 いま再稼働に向けて対応しているのは「福島事故と同じ形の想定」、つまり津波対策ぐらいだ。それだけでなく、この報告書が指摘している「過酷事故対策」「耐震性」「老朽化」などをきちんと検証し、補強をするとすれば、相当の時間がかかる。政府、電力業界は、どの程度、この報告書をまじめに受け止めるのか、無視するのか。

 今後の課題は、福島事故からどんな教訓を得るかだ。このためには、「事故がどういうメカニズムで進行したか」「人間の事故対応によって事故の進行はどう変わったか」の再現データが必要だ。本当のメカニズムが分からなければ「二度と起きないように対策をとりました」などとはいえないからだ。

 例えば、東電事故調や政府事故調は、「地震では主要機器は壊れていないだろう」といい、今回の国会事故調は「いや、津波の前に地震で大きく壊れたものもある」と違う立場をとる。しかし、どちらも強い決め手がない。現場に行って、損傷具合を丁寧に調べれば分かるが、現場は高濃度の放射能で汚染され、あと何年も近づけない。この「水掛け論」に決着をつけるためにも再現が必要だ。

 問題は、この再現作業を、どの事故調も、どの国家機関もやっていないことである。何となくこういうふうに炉心溶融がおきたのだろうという東電の計算などをもとに議論しているに過ぎない。原子力委員会の近藤駿介委員長は「日本のどこかの機関がきちんと再現の作業をしなければ、世界に対してはずかしい」とまでいっている。

 再現はコンピューター・シミュレーションを駆使して行う。実験も必要になるかもしれない。その再現作業のデータとして欠かせないものが、東電のテレビ会議システムの映像資料だ。 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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