メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

見直される「工学の父」

辻篤子

グローバル化し、かつ複雑化した今日の社会で、技術者が担う役割が極めて大きいことはいうまでもない。エネルギー、環境問題などへの対応から、新しい産業につながるような革新的な技術の開発まで、課題は多岐にわたる。自ら課題を設定して解いていくような、高度な能力を持った技術者が必要とされている。そんな時代にふさわしい工学教育とは?

 議論がわき起こる中で、日本の工学教育の原型をつくった「工学の父」ともいえる人物が改めて注目されている。明治初期、お雇い外国人として日本にやってきたスコットランド人ヘンリー・ダイヤーである。

東大工学部にあるヘンリー・ダイヤーの像

 文部科学省のもとに設けられた「大学における実践的な技術者教育のあり方に関する協力者会議」なる長い名前の会議が2010年6月にまとめた「大学における実践的な技術者教育のあり方」という報告書の冒頭に次のような文章が引用されている。

 明治6(1873)年に、我が国においては、世界に先駆けて工学寮工学校(Imperial College of Engineering、明治10年に工部大学校と改名)を設立し、学問と訓練のバランスを考慮した「基礎教育(General and Scientific)」「専門教育(Technical)」「実地訓練(Practical)」の3つをエンジニアリング教育の基本理念とし、それぞれを2年間、合計6年間の教育としてスタートした。=“Engineering Education in Japan”, NATURE Vol.16 (May 17,1877)

 この形を作ったのが、ダイヤーである。報告書の冒頭、

・・・ログインして読む
(残り:約1308文字/本文:約1981文字)