【退任】朝日新聞記者(オピニオン編集部)。1979年朝日新聞入社、科学部、科学朝日編集部、アエラ発行室、アメリカ総局員などを経て2004年9月から13年まで論説委員を務めた。1989~90年、マサチューセッツ工科大ナイト科学ジャーナリズムフェロー。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
議論がわき起こる中で、日本の工学教育の原型をつくった「工学の父」ともいえる人物が改めて注目されている。明治初期、お雇い外国人として日本にやってきたスコットランド人ヘンリー・ダイヤーである。
文部科学省のもとに設けられた「大学における実践的な技術者教育のあり方に関する協力者会議」なる長い名前の会議が2010年6月にまとめた「大学における実践的な技術者教育のあり方」という報告書の冒頭に次のような文章が引用されている。
明治6(1873)年に、我が国においては、世界に先駆けて工学寮工学校(Imperial College of Engineering、明治10年に工部大学校と改名)を設立し、学問と訓練のバランスを考慮した「基礎教育(General and Scientific)」「専門教育(Technical)」「実地訓練(Practical)」の3つをエンジニアリング教育の基本理念とし、それぞれを2年間、合計6年間の教育としてスタートした。=“Engineering Education in Japan”, NATURE Vol.16 (May 17,1877)
この形を作ったのが、ダイヤーである。報告書の冒頭、
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