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脱原発、決め手は脱小選挙区制ではないのか

尾関章 科学ジャーナリスト

 久しぶりの「東京燃ゆ」だった。7月半ばに盛り上がった脱原発のうねりだ。

 13日の金曜夜、都心の永田町、霞が関界隈では、関西電力大飯原発の再稼働に対する抗議行動に約1万人が集まった(小紙報道が伝えた警察関係者の話)。16日の「海の日」には代々木公園で「さようなら原発10万人集会」があり、主催者発表によれば、約17万人が会場を埋めた。

 16日午後、私は電車に乗っていて、代々木公園近くの駅で大勢の人々が車内になだれ込んでくるのを見かけたのだが、その瞬間、奇妙な感覚に襲われた。「この人たちは同じ集団なのかどうか」という戸惑いだ。一言でいえば、ひと色に染まらない群れだった。

 休日を公園で過ごしたという感じの家族連れがいた。にぎやかにおしゃべりをする高齢女性の一団もいた。おもしろいのは、そういう異質のグループが気軽に声を掛け合っていたことだ。「連帯意識があるみたいだな」と感じたとたん、脱原発の集会の参加者だと気づいて納得がいった。

 「東京燃ゆ」の大衆行動といえば、1960年に日米安保条約の改定反対を訴えた国会包囲デモが思い浮かぶ。70年安保が迫って、国際反戦デーなどで騒然となったころの東京も記憶に刻み込まれている。だが、それらはいずれも、革新政党や労働組合、学生運動の諸勢力が主導した運動だった。

 いま全国に広がる脱原発行動は、それとはまったく違う。一つには、トップダウンの行動でないこと、もう一つは、集まった人々が多彩なことだ。その意味で、戦後の日本社会が経験したことのない世論の発露と言えるだろう。

 だが、だから60年安保や70年安保とは違って政府を動かせるのかとなると、首をかしげざるを得ない。地域や職域、階層や年齢層をまたがって脱原発の主張が広がっても、それを政策に反映させる回路が見えてこないからだ。

 たしかに、国会では「脱原発」を口にする政治家が急にふえた。とりわけ最近は、新しい政治勢力が「脱原発」を旗印に掲げることも多くなった。これは、2011年3月11日以前には想像もつかなかったことだ。ただ、そこで語られる「脱原発」という言葉は、恐ろしいほどにあいまいだ。「再起動反対」から「原発依存率を下げる」まで、すべてが「脱」のひと文字でくくられている。

 脱原発の集会やデモに集う人々が切実に望んでいるのは、脱原発の流れを加速させることだろう。脱原発社会をめざして、自分たちも生活様式を改めるから、政府も産業構造や社会構造を変える施策を急いでほしい、という思いである。ところが、そこまで徹底して脱原発社会をデザインする政治家が国会で多数を占めているとは言い難い。

 そうならば、脱原発をめざす有権者が自らの手で脱原発勢力を国会に送り込まなくてはなるまい。ところが、今の小選挙区主体の選挙制度は2大政党以外の党派には極めて不利だ。衆参両議院、もしくはどちらか片方の選挙を比例代表主体に改めない限り、脱原発の民意をひとかたまりの勢力として国会に根づかせられないだろう。

 集会やデモを「放射能はゴメンだ」という叫びと「仲間はこんなにいるんだ」という共感の場で終わらせないためには、脱原発を訴えるだけでなく、一歩踏み込んで選挙制度改革まで主張しなくてはならないのではないかと思う。

 そもそも、原発だけではなく、温暖化や食の安全、感染症など、2000年代に入って重みを増した今日的な問題は、科学技術の知見と評価という新しい要素をはらんでいることもあって、旧来の政治の座標軸に落とし込むことが難しい。

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筆者

尾関章

尾関章(おぜき・あきら) 科学ジャーナリスト

1977年、朝日新聞社に入り、ヨーロッパ総局員、科学医療部長、論説副主幹などを務めた。2013年に退職、16年3月まで2年間、北海道大学客員教授。関心領域は基礎科学とその周辺。著書に『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代全書)、『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス)、共著に『量子の新時代』(朝日新書)。週1回の読書ブログ「めぐりあう書物たち」を開設中。

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