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拡大関西電力本店前で「(大飯原発の)再稼働反対」と声を上げ続ける人たち=7月13日午後7時26分、大阪市北区、佐藤慈子撮影

 大飯原発の再稼働、国会と政府の事故調最終報告、東京から各地に飛び火した反原発集会など。原発の行く末をめぐって、再び世情が騒がしい。政府は国民の意思とは無縁のところで、後始末も総括もうやむやのまま再稼働に踏み切ってしまった。大飯では4号機に続き3号機もフル稼働するなど、他の原発再稼働へ向けて、着々と地ならしが行われている。

 

事故調報告書と「想定外」「人災」

 

 7月5日に提出された国会事故調報告書は、予想に反し(?)政府・東電に厳しい内容だった。地震で小規模の配管破断などが起き、炉心損傷や炉心溶融に至った可能性があること など から、「想定外」は言い訳にならないと指摘。事前に防げるチャンスはあったのに、「事業者が規制当局者を骨抜きにし」「原発はもともと安全が確保されているという大前提を共有」。疑問を呈するような知見や規制は先送りされた(報告書ダイジェスト版)。結局今回の事故は 「人災」だったという結論だ。

 その後7月23日には、政府事故調の報告書も出た。これは地震で原子炉が損壊していた可能性を否定するなど、一部異なる見解を示した。しかし事故を「人災」とし、国と東電の対応を厳しく批判した点は同じだ。 

 筆者は大筋でこれに賛成するし、本欄でも「想定外」「人災」ということばを使ってきた。しかしこれらの語が頻繁に使われるのを見て、微妙な警戒心も働く。

 「想定外」をめぐる議論には、「あの時点では」「あの規模の津波に関しては」というニュアンスが常にある。「想定外ではなかった」という事故調の批判を丸ごと受入れたとしても、次回はよりいっそう想定内になるから防げる、という観点が準備され得る。現に政府、電力会社が再稼働をめぐって主張しているように。

 だが「想定外」は、ほとんど逆の意味にもとれる。本欄でも論じてきたように( 拙稿「想定外とブラックスワン」「続・メルトダウン連鎖の真相」)、想定外が起きた後にも、常に別の想定外は存在する。私たちの想像力を超えるところで、可能性として存在し続ける。確率は低いがカタストロフィ(破局)を完全に避けることは、私たち人間にはできない。

 皮肉にも今、各原発で再稼働に向けて進められているのは、「福島と同じ規模の地震、津波にも耐える」対策だ。このことがすでに、「ヒトは想定外には(定義上)備えられない」ことの証となっている。

 関連して「人災」という言葉にも、いろいろな含意がある。「人災だった」という結論は、「それに学べば次は防げる」という示唆につながりやすい。国会事故調報告書もこの線に沿って、7つの提言をしている。

 「規制当局に対する国会の監視」「政府の危機管理体制の見直し」など、その多くは実現可能な提言で傾聴に値する。だが同時に、それが問題の本質なのか、それで本当に安全が確保されるのかという疑問も生じる。その点では政府事故調畑村委員長の、「形を作っただけでは機能しない」という所感に共感する。

 「人災」のまったく別の解釈として「この規模の安全管理はヒトの能力の限界を超えるから、防ぎ切れない」という立場もあり得る。本欄でも繰り返し強調してきたことだ。

 短期的には「想定外」の欺瞞性を反省し「人災」の中身を分析することが、 「次」に備える上で重要だろう。まだしばらくは原発に頼らざるを得ないとすれば。この意味から、各事故調の報告書を無視して先に進むことは許されない。

しかし長期的には、むしろ「次は大丈夫」が本当に大丈夫なのかを、問う必要がある。社会システムの未熟、ヒトの情動や認知の本性を前提に考えなくてはならない。

 

三つの選択肢〜カネと心の問題

 

 エネルギー問題が難しいのは、このように短期と長期を併せて考えなければならないからだ。急に舵は切れないが、長い目で見ると私たちの子孫の行く末に関わる。

 現在の争点は、2030年までに原子力依存度をどうするか。それについて内閣府が提示した三つのオプションだ(0、15、20〜25%)。

 このうち「20〜25%」というオプションは事実上、現状維持に近い。福島と同型を含む老朽原発、活断層の上にある危険原発を、 連動地震の危険性などを無視して稼働させ続けることを意味する(そうでないと計算が合わない)。

 いきなり三択というのもどうか、早くも真ん中(15%)に落としどころがあると示唆しているが(細野原発担当相らの発言)、いかにもこざかしい世論操作だ・・・などと、つい批判したくなる。しかし「歴史上初めて、エネルギー政策について国民の開かれた議論を」という政府の意図に、ここではあえて丸乗りしてみたい。国民的合意を目指して議論を盛り上げて行くのが、建設的というものだろう。

 となると避けて通れないのが、原発をめぐるカネと心の問題だと思う。

 「原発は安い電力源だ」というのが、推進派の最大の論拠だ。他方脱(反)原発派は、「カネより命」として経済問題は素通りしてしまう。これではいつまで経っても議論はかみ合ない。

 次稿ではあえてこの問題に踏み込み、一見純粋にカネの問題に見える所に潜む心の問題をえぐり出したい。

 

 

 

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筆者

下條信輔

下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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