下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授
カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
原発の特性から、止めても稼働中と同じような管理コストがかかり、おそらくその上に廃炉に関わる費用がのしかかる。
元来廃炉コストは、電気代に含まれていたはずだ。しかし先にも見た通り(前々稿(2))、基幹たる電力産業が傾いては元も子もないとの論理で、廃炉は極力先送りされてきた。
50基の原発を廃炉にするのに30年はかかるという。その費用は数十兆円、燃料の維持、保管、処分でさらに数十兆円かかる。
財務の問題はより深刻だ。経産省の試算でも、すべて廃炉にすると電力10社中4社が債務超過となる。廃炉になると突然、原発は資産ではなくなるからだ。(リサイクルを前提に)資産とされてきた使用済み燃料棒もお荷物になり、損失計上となる。
しかし電力会社の赤字倒産は、望ましくない(らしい)。
こういう論理は「局所的には」筋の通った解だとも言える。だから国だ電力会社だと悪者探しをしても、根本的な解決にはならない。むしろこの原発経済の構造全体に無理があるのだ。
先の「坂道の自転車」はたとえに過ぎないが、そのたとえにはもうひとつの射程がある。坂道を転がり出した自転車同様、原発もいったん走り出したら加速し、後になるほど急停止したときの損失が大きい。
つまり
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