除染と移住政策の現実
2012年08月20日
原発事故をソ連政府が隠し続けたことは知っていたが、その隠しぶりは想像以上だった。4月26日に事故が起き、ソ連共産党はこれが大変な事故だと認識した。だが、5月1日のメーデーの祭典実施を優先した。原発から100キロ余りしか離れていないキエフ市では、何も知らされていない市民たちが1日に屋外で盛大なパレードをした。その成功を見届けて避難指示を出したのだろう。ベラルーシ非常事態省によると、周辺地域の避難が始まったのは翌2日。プリピャチ市のように1日で全員避難というわけには行かず、避難し終わったのは9月だったという。
共産党機関紙プラウダの一面に小さい記事が出たのは5月15日だった。原発で事故が起き、対策をしている、という素っ気ない内容だった。ちなみに朝日新聞は4月29日付け朝刊で「ソ連で原発事故か」と報じている。
科学者たちは情報をもらさないという誓約書にサインさせられた。医師が患者に言うことも許されなかった。専門家たちは放射線の害について情報を持っていて、懸命に対策に取り組んだが、その内容を広く伝えることはいっさいできなかった。
その実態を、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください