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「いじめ」という言葉の使い方(下)

認知意味論で考える

北野宏明 ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長

 「いじめ」という一つの言葉で、いやがらせから犯罪行為までを表す。その背景には、学校生活での生徒の行為については、いやがらせと犯罪行為を同等のものとして扱ってきた我々の文化があるのではないだろうか?

 「上」で述べたことの繰り返しになるが、私は「いやがらせ」を許容しているわけではない。これと犯罪を同列視していることが問題なのだ。 

 「いじめ」という曖昧さの残る言葉を、メディアや関係者が使い続けているうちは、この問題の改善は困難なように感じる。犯罪のレベルに達した「いじめ」には、それに対応した言葉を使う必要がある。

 「いじめ」という言葉は、人間関係の軋轢に起因する犯罪行為に至らないいやがらせを指す言葉として再定義し、その一線を越えた行為は、「学童犯罪」または「学童組織犯罪」と呼ぶべきであろう。そうなると、対応するのは、文部科学省ではなく、警察となる。実際、教員や教育委員会は、犯罪捜査の経験や権限を有していないのだから、そこにこの問題の対処を期待するのが間違いである。「いじめ」という曖昧な言葉を使うから対応に混乱が生じるのである。

 政府が「いじめ対策本部」をつくるとあるが、これも「学童組織犯罪対策本部」とするほうが適切であろう。

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