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 若者が使いはじめた「世界実現」という言葉を手がかりに「個人を超える何か」への志向を人類史の中で考えてみたい。話題が飛躍するかもしれないが、お許しいただき、まずにそくして話を進めてみよう。

 は、人間あるいは「私」をめぐる全体的な構造を、生命や自然にかかわる次元も視野に入れてごく大まかにまとめてみたものである。

 大きく言えば、の下から上にかけての方向が時間軸、つまり人間や社会の進化の流れだが、ここでとくに重要な節目となるのは、「遺伝子」「個体」「個人」という3つの結節点だ。

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 ここで「遺伝子」とは象徴的な意味で、「自己複製(ないし自己増殖)する存在としての『生命』の根源的なユニット」といった趣旨であり、やがてそれは(原核細胞→真核細胞→多細胞化というプロセスをへて)「個体」を形成する。

 個体は免疫系や神経系を発達させて一つの全体的なシステムとして進化していくが、とくに脳が発達し、情報伝達の中心が遺伝情報(親から子への遺伝子のバトンタッチ)から脳情報、つまり個体間のコミュニケーションにシフトしていく中で、社会性あるいは「コミュニティ」というものが大きく生成していく。これは哺乳類に顕著だが、こうした社会性ないしコミュニティという性格が飛躍的に強まったのが「人間」という生き物においてだった(ちなみにこれに関連した議論は、以前この欄での「情報文明の次に来るものと科学」〈上〉〈中〉〈下〉で少し試みたことがある)。

 さらに、そうした社会性の発達やコミュニティでの他者との相互作用の中で、自分自身を外側から見るという「自己意識」が生まれ、これが「個人」という概念につながっていく。

 以上は生命誕生から人間までの話だが、さらに人間の歴史に焦点を移し、それを大きく「狩猟採集社会-農耕社会-近代(ないし産業化)社会」という3つの段階に関連づけて把握するとどうか。ここで図における「個体」「コミュニティ」「個人」との関係で、

●狩猟採集社会 →「個体」の重要性が相対的に大きい
●農耕社会 →「コミュニティ」の重要性が相対的に大きい
●近代(ないし産業化)社会」 →「個人」の重要性が相対的に大きい

 という特徴づけをすることは、(きわめてラフな概括であるものの)次のような意味で不可能ではないだろう。

 狩猟採集社会について見ると、およそ人間という生き物においてはその社会性ないしコミュニティ形成という点が(先述のように)ほかの生物と比べた場合の際立った特徴であるわけだが、人間の歴史に舞台を移して見た場合、狩猟採集社会が相対的に「個体」の自由度の大きな社会であったことは、近年の人類学などの研究からも示されていることである(拙著『創造的福祉社会』参照)。

 一方、歴史的には今から約1万年前からとされているが、「農耕」という、集団的あるいは一定の組織的管理を必要とする新たな生産の様式が始まると、個体に対する「コミュニティ」の比重が大きくなっていく(場合によってそれは一定の抑圧や階層化を伴うこともある)。これに対し、独立した「個人」なるものを一次的な存在として立て、経済や政治などあらゆる領域においてそれが前面に出る形で大きく展開していったのが「近代」(ないし産業化社会)という時代だった。

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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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