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アフリカの国境の町で感じたこと

山極寿一

山極寿一 京都大学総長、ゴリラ研究者

 この夏、私はアフリカで二つの国を仕切る国境を徒歩で越えた。一方の国の道はすべて舗装され、新しいビルが立ち並び、人々がにこやかに談笑する姿が目立つ。どの町にも公的に認められた外貨交換所があって、闇レートは存在しない。しかし、国境を越えたとたん、おびただしい人々と車の喧騒の渦に巻き込まれた。信号もなく、埃だらけの街で、商品は直接外貨で取引されている。国の通貨はあり、人々はそれも使っているが、米ドルも一般に通用している。銀行は機能を停止しており、もはや現地通貨に交換する商売すら成り立たない。公共のサーヴィスは全く期待できない。

 この二つの国の劇的な違いはむろん政治によってもたらされているのだが、それは国境によって具現化されているとも言える。国境の両側にはもともと同じ民族に属していた人々が暮らしている。彼らは親族や友人に会いに、国境を頻繁に行き来する。身分証明書とレセパセという通行許可証があれば、人々は自由に国境を通過できるのだ。だが物資はそうはいかない。商品と見なされる物には関税がかけられるし、輸出入が禁止されている物資もある。片方の国では通貨が安定していて、もう一方の国には地下資源をはじめ価値ある物資が豊富にある。しかし、国境があるために人々は自由に商売ができない。

 一方の国は度重なる内戦で疲弊しきっている。戦争が起こるたびに、人々は傷つき、家を追われ、所有物を略奪された。もはや自分の住む土地がどこにあるかも確信できなくなっている。私はこの街の人々と30年以上付き合ってきたが、今回ほどやつれ切った人々の顔を見るのは初めてだった。

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