2012年10月24日
たしかに、そういう一面はある。だが、だからこそ、情報を手にしてからの仕事が大変なわけだ。星の数ほどもある学会発表、さまざまな記者クラブで催される会見、ありとあらゆるルートで届く報道資料……そうしたもののなかから、どれを伝え、どれを伝えないかを吟味しなくてはならない。
発信しないニュースのなかには、ほんとうは紙面に出したいのに紙幅に限りがあって日の目をみないものが多くある。だが、出すべきでないと判断して出さないものがあるのも、また事実だ。ただ、私自身の30年近い科学記者生活を顧みると、記事にしなかったことでほめられた記憶はほとんどない。それがメディアの生理であり、「書き得」という業界用語がある所以だろう。
ところが、今回は違った。iPS細胞(人工多能性幹細胞)をつくった山中伸弥さんのノーベル賞受賞決定から3日後の10月11日のことだ。読売新聞は朝刊の1面トップで、日本人研究者が米国でiPS細胞を使い、重い心臓病の患者を治療した、と報じて世間をあっと言わせたが、翌12日朝刊(一部地域)で「iPS移植 発表中止」の記事を出すことになった。13日朝刊では第1報の「誤報」を認めている。
朝日新聞は12日夕刊で一連の騒動を伝えるまで、この「iPS臨床応用」は一切記事にしなかった。同僚記者は、なにも知らなくて記事にしなかったのではない。研究者の「売り込み」に応えて、取材を尽くしたうえで信頼度が乏しいとみて紙面化を控えた。社内外からは「よく見極めた」という声を聞く。書かなくてほめられたのである。私も、後輩記者たちの取材の蓄積と的確な判断が紙面の信頼を守った、と思う。
だが、だからと言って、ほっとしているわけではない。ライバル紙の報道であっても、同じ科学ジャーナリズムに身を置くものとして他人事ではいられない。一歩引いたところから、今回の顛末をもう一度、振り返ってみよう。
今回の読売報道にも、功罪の「功」と呼べるものが一つあった。
それは、あの虚言が記事にならなければ、この研究者はなおしばらく虚偽の発信をつづけていたのではないか、ということだ。そうならば、政府が支出する研究費がこの研究者の手もとに届くという状況も変わらなかっただろう。
これは、読売新聞がもう一歩踏み込んでウソを見抜いていれば、iPSブームに便乗した疑わしい研究の存在を浮かび上がらせて特ダネを出せたかもしれない、ということでもある。それは、1面トップの大ニュースにはならなくても、科学界の内情を伝えるニュースとして社会面の一角を占めたことだろう。
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