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イタリア地震裁判(下)科学者の責任とは何か

北野宏明 ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長

 ラクイラ事件では、高リスク委員会に加わったイタリアの地震学者は、非主流の科学者の「警告」が起こした不安や、それを沈静化したいという当局の思惑などの間で難しい立場に置かれていたことを書いた。

 では、委員会は、どうすればよかったのであろうか。そしてこの判決は妥当なものであろうか。

 まず、そもそも通常はローマで開かれる委員会が、ラクイラで開催されるということなどの状況から、市民の不安を押さえるために政治的に利用される危険を認識するべきであったろう。今回の登場人物は、イタリアでのこの分野の重鎮であり、「世間知らずの科学者」ではないだろう。そこで、そもそも委員会の開催の是非を熟慮するべきであったし、開催もローマで行うべきであったろう。ラクイラで開催ということになった時点で、この委員会は難しい立場に置かれる方向へと歩み始めていたように思える。仮に、ラクイラで開催したとしても、委員会自らが記者会見をして、正確に市民とコミュニケーションをとるべきであったことは明らかである。とくに当局が事態を沈静化する方向へと誘導しようとしていることが、明確な状況で、会見を当局に任せたことが最大のミスであろう。

 当局が委員会の意図と違う発表をした後では、修正の記者会見はかえって不安を煽る結果につながりかねない。もちろん、修正の会見をするのが正しいのだが、同時にその結果、パニックを引き起こすことにもつながりかねず、その責任を負いたくはないと当事者が考えた側面も否定できない。この段階で、委員会は、身動きできずに群発地震が収束することに身を委ねるという、非常にまずい立場に追い込まれてしまったといえる。

 次に、この判決は妥当なものかである。ここで、

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