下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授
カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
おそらく以前からこうした小事故は同様の頻度であり、扱いは小さくとも報じられていたはずだ。新聞の片隅で採り上げられ、それが頻繁に繰り返される。そのとき人々の心には何が起きるだろうか。ふたつの相異なる認知があり得る。
認知1)これまで何度も危機はあった。その都度、大事には至らなかった。そう簡単に過酷事故は起きない。・・・人々の心理リアリティに実際に起きるのは、こういう潜在認知だろう。
ここで問題なのは感受性が鈍くなることだ。またか、となり、危機対応が鈍くなる恐れがある。前稿で示したように、私たちはそういう小事故ニュースを驚くほど忘れている。そのこと自体がこの鈍化を如実に物語っている(心理学でいう馴化、 神経生理学でいう脱感作)。馴れによって受信フィルタリング(濾過)が起きたとも言えるし、ひんぱんなフォールス・アラーム(偽警報)の副作用とも言える。オオカミ少年効果と呼んでみることもできよう。
しかしこれとは別に、次のような認知もあり得る。
認知2)小事故や小ミスが重なったときに、大事故が起きやすい。だから小事故の頻発は大事故への危険なサインであり、その危惧が現実的であることを示している。・・・確率論的にはおそらくこちらが正当な解釈であり、より実体リアリティを反映していると考えられる。
問題は、このふたつの認知がほとんど反対方向を向いており、心理リアリティと実体リアリティの乖離が進んでいることだ。またまずいことに、上記1)の「馴れによる濾過」そのものは、むしろ有用で適応的な機能なのだ。
生物学的に見ても、
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