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広井良典、「古事記」と生命を語る〈上〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 かなり遅ればせのタイミングになるが、今年は『古事記』が編纂されて1300年で――と言っても『古事記』が編纂されたのが本当に712年だったかどうかについてはそれ自体様々な議論があるわけだが――、関連の書籍の刊行やイベントなども行われている。とはいえ、必ずしも大きな話題になっているというほどではなく、先日大学のゼミでこのことにふれた時も、初めて聞いたという学生がほとんどだった。

 かくいう私も、『古事記』の本を手にとって読んだのは40代になってからのことで、大そうなことが言える立場にはない。そしてまた、おそらく現在の大半の日本人にとっても事情は似たりよったりと思われる。「灯台もと暗し」ではないが、海外、特に「欧米」のことには多くの見聞や知識をもっているが、日本(やアジア)のことについては案外知らないという人は多い。

 しかし私は、以下に述べるように、『古事記』に描かれている物語は、現代の生命論の観点から見ても非常に興味深い内容を含んでいると思われ――それは生命の「自己組織性」や、あるいはエコロジーと深く関連する――、加えて、日本人にとってのアイデンティティー、とりわけ「アジア/地球に開かれたアイデンティティー」とも呼ぶべきものを考えていく上できわめて重要な意味をもつと考えている。

 後者については、あえて現実的な話題に結びつければ、そうした開かれたアイデンティティーをもつことは、現在とみに悪化している日本と中国の関係を深いレベルで修復することにもつながるだろう(その大きな理由は、後に述べるように『古事記』で描かれた物語ないし神話のかなりの部分が中国起原のものであるという点に関わる)。またより根本的には、日本が人口減少社会を迎え、従来のような「拡大・成長」あるいは「欧米へ追いつけ、追い越せ」といったベクトルではなく、いわば「離陸」に代わる「着陸」の方向に向けての思想ないし土台をもつ点でも、根底的な意味をはらむと考えられるのである。

 以下ではこうしたことについて幅広い視点から考えてみよう。

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