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広井良典、「古事記」と生命を語る〈中〉

広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

 〈上〉の話を前提に、本題に入っていこう。

 それは現代生命論との関わりという点につながるのだが、そうしたテーマを考えるにあたり、先ほどのアマテラスの話を含め、『古事記』という書物が当時もっていた社会的あるいは政治的な意味ないし背景を見ておく必要がある。

 『古事記』は言うまでもなく当時の大和朝廷(=古代国家=ヤマト政権)が、対外的かつ国内的に、自らの政権の正統性を示すことを中心的な目的として編纂された書物である。

 議論を大幅に急ぐことになるが、私なりに整理すると、当時の日本社会は、大きく以下のような3つの層がいわば重層的に積み重なる形で構成されていたと言えるだろう。すなわち、

(a)「縄文的」な層 ……狩猟採集社会
(b)「弥生的」な層 ……農耕を基盤とする共同体(ムラないし小規模なクニ)
(c)「律令的国家」の層 ……都市的制度ひいては普遍宗教(仏教、儒教など)

 という3層である。

 これはもちろん歴史的・時間的な軸とも関連しており、(a)がもっとも古く、その上に(b)が乗っており、さらにその上に(c)が存在するという構造があり、そしてヤマト政権はほかでもなく(c)としてこれらを統括するポジションにあった。

 またこれも確認的なことだが、以上の(a)~(c)は、それぞれの時代に日本列島に渡ってきた人々あるいは民族と対応するものだった。ごく大きく言えば、(a)は南方系の民族、(b)は中国の南部(長江流域や雲南省など)、(c)は朝鮮半島ないし中国北部との関わりが深いと言えるだろう。

 そして『古事記』の物語は、一言で言えば以上のような3つの層を、(c)を軸にしつつ「統合」するものでもあったわけである。

 この場合、(a)の層の代表的存在としては、九州南部を中心に居住していたいわゆる「隼人(はやと)」があり、漁業を生業とし「海人」とも言われ、インドネシアなど南洋起原ともされる。他方、(b)の層は弥生以降の農耕をベースとしたムラないしクニで、ヤマト政権と対立した地域であり、「出雲」はその代表である(神としてはオオクニヌシ)。

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