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COP18(カタール)で明らかになったのは、これからの地球温暖化対策は前進が難しい時代に入るということだ。京都議定書に続く新体制を2015年までにつくることは再確認されたが、先進国と途上国が協調する雰囲気には遠く、交渉は簡単ではない。一方、日本は京都議定書第2期の削減義務を拒否したことで、守らなければならない削減数字がなくなった。来年4月から、国、企業、自治体などが、何の数字を目標にどんな対策をしたらいいのか分からなくなった。

 COP18で採択された合意は、(1)途上国への資金援助増額に努力する(2)全ての国に適用される新しい枠組みを2015年までにつくる。その素案を14年までに決める(3)京都議定書の第2期は8年とする(京都議定書第2期の後、新体制に直接つなぐ)など。

 形の上では、2015年につくる予定の新体制(新条約)に向けて、まあ順調なスタートに見えるが、京都議定書をつくったときのような主要国の熱気はない。合意は新体制に向けた入り口を意味する「ドーハ・クライメート・ゲートウェイ」と名付けられたが、条約事務局のフィゲレス事務局長は、「正しい方向へ一歩前進したが、ドアはまだほとんど開いていない」と述べた。すべてはこれからの交渉にかかっている。

 そもそも、新体制まで切れ目なしでつなぐために京都議定書の第2期を設定したが、米国、日本、カナダ、ロシア、ニュージーランドが、議定書そのもの、あるいは第2期から離脱している。引き続き削減義務を負うのは、EU、ノルウェー、スイス、オーストラリアだ。

 日本についていえば、2013年以降、国際交渉においても国内対策においても温暖化対策の目標が曖昧になったといえる。

 国際交渉では、もちろん新体制の成立をめざすが、米中が削減義務をもつ新体制づくりは簡単ではない。日本は第2期から離脱した。

 かつて、「議定書を生んだ国」といっていた誇りはもうない。次期枠組みづくりの議論でも発言力がなくなった。温暖化交渉は、米国、中国の2大国、それにEU、途上国がからむ形で今後進んでいくだろう。米国、中国は大国なので何をしても無視されないが、京都議定書から逃げた中規模の国である日本の発言力は落ちた。京都議定書をつくったときにような「主役の一人」には戻れないだろう。

 国内対策でも漂流が始まる。これまでは京都議定書の目標(6%の削減)をめざして計画をたて、実施してきた。

 日本は「ほかの国もちゃんとやるのであれば」という条件付きながら、「2020年までに%削減」を宣言しているが、原発事故も起きたので、経済界や政府の一部は、この旗を降ろしたがっている。しかし、世界は簡単に許してくれない。「原発事故があったからといって、自動的に免責されるわけではない」(中国の代表団幹部)など、「もっと目標を上げられないか」という圧力さえある。

 COP18では、日本は2回「化石賞」に選ばれた。環境NGOが温暖化に後ろ向きの国に出す賞である。1度は「京都議定書の削減義務から逃げた」が理由。2度目は「長浜環境大臣の演説に内容がなかったから」だ。そして環境大臣は、最終日の大臣会合を欠席した。国際交渉の議論に積極的に参加しようという気はない。

 化石賞はちょっとした話題でしかないが、国際社会でどう見られているかの指標であることは間違いない。

 国際交渉の場における日本の存在感は軽くなり、国内対策も宙中ぶらりんになっている。

 08~12年の第1期では「6%」が日本の削減義務だった。その削減に必要な削減量を各分野に割り振って「京都議定書目標達成計画」をつくり、それに沿った対策を進めてきた。

 しかし、この達成計画も今年度で終わる。温暖化対策基本法をつくる話もあったが、長い間野ざらしにされたあと、廃案になった。来年4月以降は国内対策の法的根拠や具体的な計画がなくなってしまう。つまり温暖化対策を動かすエンジンも地図もなくなってしまうのである。企業や自治体などは何を基準に温暖化対策を継続していくのだろうか。

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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) 元朝日新聞編集委員 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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