2013年01月14日
先ずは、「学者」の定義をしておく必要がある。広辞林によると「1学問にすぐれた人 2学問を専門にする人」とある。英語でいうと ”Scholar” である。真の学者は「学問にすぐれ、かつ学問を専門にする人」であろう。いつの時代にも学問にすぐれたひとはある一定の割合で存在する。しかし、今の時代には、たとえ学問にすぐれた人も学問を専門とすることができなくなっている、あるいは学問も専門としなくなったと思う。なぜか?大きく2つの理由があると筆者は考える。「時間」と「資質」の問題である。
今の時代は、大学教員が学問にさける時間が激減している。つまり、学問をする時間が他のことにさかれてしまっている。この「学問以外のこと」を以下に列挙する。
【学生の生活指導】
大学教員が学生に学問を教授するのは当然の職務であるが、現在は多くの大学で教員が学生の「生活指導」に相当の時間を費やしている。例えば中部大学のホームページには、「大学生活で困っていること、例えば、学費、生活費の問題、奨学金の申込み、健康状態・家庭・恋愛等の問題をはじめアルバイトや下宿生活の問題、友人関係のトラブル等何でも指導教授に相談してください」とある。
大学教授が学生の「恋愛の問題」まで相談にのっていたのでは、学問をする時間がなくて当然である(個人的には、学生の恋愛問題の解決ができる大学教授はほとんど皆無であるし、大学教授なんかに相談すると恋愛問題が逆に悪化すること間違いないと思っている)。
筆者のまわりでも、教授が自分の研究室の学生のさまざまな悩みを辛抱強く聞いてあげ、必要ならば学生のカウンセラーとの面談に同伴するということを日常的に耳にする。また、多くの大学で、学生の学業、生活面での問題を、学生の親御さんと面談し(いわゆる、小・中・高の「三者面談」である)解決する努力が大学教員に求められている。
さまざまな大学の教員たちの話を聞いてみると、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください