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このままいくと50年後には日本の大学から「学者」はほとんど消滅し、「先生」しか大学にはいなくなる。新年早々、暗い話で申し訳ないが、この予想は今のままではかなりの確率で的中すると筆者は自信をもっている。何故なら、筆者が日本を離れて米国に行った1985年当時と2009年に日本に戻ってきてからを比べると、日本の大学において、学問を専門とする人たちが激減していると見受けられるからである。逆に、職務内容的には小・中・高の先生と大差ない大学教員が激増しているように筆者は観察している。日本では「学者」は絶滅危惧種になっているのである。以下に、帰国して3年余りの体験と観察から引き出された考察を述べる。続けて、日本の大学から学者が消滅してしまわないようにするための提言もしよう。

 先ずは、「学者」の定義をしておく必要がある。広辞林によると「1学問にすぐれた人 2学問を専門にする人」とある。英語でいうと ”Scholar” である。真の学者は「学問にすぐれ、かつ学問を専門にする人」であろう。いつの時代にも学問にすぐれたひとはある一定の割合で存在する。しかし、今の時代には、たとえ学問にすぐれた人も学問を専門とすることができなくなっている、あるいは学問も専門としなくなったと思う。なぜか?大きく2つの理由があると筆者は考える。「時間」と「資質」の問題である。

 今の時代は、大学教員が学問にさける時間が激減している。つまり、学問をする時間が他のことにさかれてしまっている。この「学問以外のこと」を以下に列挙する。

学生の生活指導

 大学教員が学生に学問を教授するのは当然の職務であるが、現在は多くの大学で教員が学生の「生活指導」に相当の時間を費やしている。例えば中部大学のホームページには、「大学生活で困っていること、例えば、学費、生活費の問題、奨学金の申込み、健康状態・家庭・恋愛等の問題をはじめアルバイトや下宿生活の問題、友人関係のトラブル等何でも指導教授に相談してください」とある。

 大学教授が学生の「恋愛の問題」まで相談にのっていたのでは、学問をする時間がなくて当然である(個人的には、学生の恋愛問題の解決ができる大学教授はほとんど皆無であるし、大学教授なんかに相談すると恋愛問題が逆に悪化すること間違いないと思っている)。

 筆者のまわりでも、教授が自分の研究室の学生のさまざまな悩みを辛抱強く聞いてあげ、必要ならば学生のカウンセラーとの面談に同伴するということを日常的に耳にする。また、多くの大学で、学生の学業、生活面での問題を、学生の親御さんと面談し(いわゆる、小・中・高の「三者面談」である)解決する努力が大学教員に求められている。

 さまざまな大学の教員たちの話を聞いてみると、

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筆者

佐藤匠徳

佐藤匠徳(さとう・なるとく) 生命科学者、ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括

(株)国際電気通信基礎技術研究所(ATR)佐藤匠徳特別研究所 特別研究所長。独立行政法人 科学技術振興機構(JST)ERATO佐藤ライブ予測制御プロジェクト研究総括・米国コーネル大学教授・豪州センテナリー研究所教授(兼任)。1985年筑波大学生物学類卒業後、1988年米国ジョージタウン大学神経生物学専攻にてPh.D.取得。ハーバード大学医学部助教授、テキサス大学サウスウエスタン医科大学教授、コーネル大学医学部Joseph C. Hinsey Professorを歴任後、2009年に帰国、2014年まで奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)バイオサイエンス研究科教授。2014年7月にNAIST退職後、2014年8月1日より現職。専門は、心血管系の分子生物学、ライブ予測制御学、組織再生工学。【2017年6月WEBRONZA退任】

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