下條信輔(しもじょう・しんすけ) 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授
カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授。認知神経科学者として日米をまたにかけて活躍する。1978年東大文学部心理学科卒、マサチューセッツ工科大学でPh.D.取得。東大教養学部助教授などを経て98年から現職。著書に『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書)『〈意識〉とは何だろうか』(講談社現代新書)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
大きな事故があったとき、究極的に原因を何かひとつに帰することができるとは、国民の多くは腹の底では思っていない。また責任者(加害者)として追及される者がいたとしても、「たまたま巡り合わせが悪かった、むしろ被害者」と見る心理が多少なりとも働いていている。因果応報、輪廻転生という東洋思想と、どこか深い所でつながっているかも知れない。
しかし「そうは言っても、どこかに原因を求め、誰かに責任を取らせないと、先に進めない」。これまた皆の実感で、手続きさえ踏んで集団の和さえ取り戻せたら、それ以上追及せずに先へ進もうとする心性につながっていく。それはそれで物事が滑らかに進むが、肝心の事故の原因そのものは事実上放置されることになる。
たとえば、関越自動車道高速バスの居眠り運転事故(昨年4月29日)や、中央高速笹子トンネルの天井板崩落事故(昨年12月2日)はどうだろう。最近は続報も見ないが、その後どうなったのか。 「原因調査」「加害者の適正処罰」といったアリバイと「安全対策」の見せ玉でもって、段取りよく元の鞘(さや)に納まるに違いない。そして数年後にまた犠牲者が出るまで、忘れ去られる。
このように言うと、「経済原則を無視して、運転手をすべて二人にしろというのか。天井板を全部取り換えろというのか 。非現実的だ」という声が聞こえそうだ。
だがここで筆者が主張したいことは、それとほとんど真逆だ。むしろ現実を直視しろ、と言いたい。
経済原則から現実には100%の安全はあり得ない。それならそれでいい。ただ
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