2013年02月09日
■イデオロギーと科学
ソ連では、生物学の中では「異端」であったトロフィム・ルイセンコ氏の学説を政府が採用し、彼の学説と対立していた「正統な」生物学者達が追放されたことで、結果として農業が立ち後れて食料の生産に影響がでました。時代背景としては、まだ遺伝子とその発現機構についての研究が途上であり、ルイセンコ氏の獲得形質遺伝の説も捨てがたかったという状況があります。学術上の論争がイデオロギー絡みになって勝敗が決められてしまったのは、とても不幸なことでした。まだきちんと実証されていない段階で、イデオロギーと合致していることで「正しい理論」としてしまうのは拙速です。
日本でもこのルイセンコ事件の余波がありました。ルイセンコ氏の支持者達は、科学者が実験してその効果を確認するのを待てずに、直ちに農場で農民と一緒にルイセンコ氏が考案したヤロビ農法を実践しました。結局、上手く行かずに数年で廃れてしまった様です。巻き込まれた農民の多くは、気の毒だったと思います。当時の論争の様子は、『日本のルイセンコ論争』(中村禎里著 みすず書房)に詳しく書かれています。著者の中村氏は、「実験という特別の実証手段が確立されているため、哲学的方法よりも実験が、研究をすすめるうえで主軸となる」と述べています。哲学的な論議よりも科学的な実証を行っていく方が、実際にどうであるかを知るのに適しています。科学は、科学者間の勢力関係による勝敗ではなく、実証と合理的な考察によって進められていくものです。
中村氏は「学説の対立解決にイデオロギー闘争をもちこむことは、無意味であるばかりか、しばしば研究に害悪をもたらすことにもなる」「研究者の世界観によって、自動的に研究成果の真偽が定まるなどという事情は絶対にありえない」と主張しています。
「科学的に実証されること」が、「イデオロギーによって正しいとされること」よりも軽んじられてしまうのは危ういことです。また、「特に甚だしい害毒を流してきたものは、…反動、資本主義、御用学者らの言辞をもって良心的な遺伝学者を萎縮させようとした人々である」と指摘しています。こうしたイデオロギー絡みの問題は、歴史の中で何度も繰り返されています。
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