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「決める」ための科学コミュニケーションを~「ミドルメディア」という試み

中村多美子 弁護士(家族法、「科学と法」)

福島第一原発事故のさなか、刻々と流れる情報を、人々はどのように受け取り、そして伝えていったのだろうか。震災から2年が経とうとするなか、未曾有の災害の渦中でのマスメディア、そして科学コミュニケーションについて振り返る試みが、各地で始められている。

 2013年1月20日、東京で開催された「ミドルメディアキックオフシンポジウム」もそうした取り組みの一つだ。シンポジウムでは、福島県立医科大学特命教授の松井史郎氏、南相馬市主婦の高村美春氏、同市「絆診療所」医師の遠藤清次氏が、震災直後から今日に至るまでの間の科学コミュニケーションとマスメディアに関し、それぞれの立場からの経験を話題提供した。

 不特定多数にむかって発信される情報は、時として、多くの人を翻弄する。情報の受け手がおかれている状況は人それぞれで、「社会」という最大公約数的な表現ではくくれないからだ。

 「逃げろ!といろんな人から連絡がきたけれど、何から逃げればいいの?何のために逃げればいいの?それがわからなかった」という高村氏の問いは、まさに現場にいた立場から、最大公約数的報道の弱点をストレートに指摘するものだ。不確実で、断片的な情報しか入ってこない現場において、人々はそれぞれに置かれた状況で、決断するしかない。子を守る母と、患者を守る医師(遠藤氏)とでは、決断するに必要な情報の優先順位が異なる。けれども、危急時のマスメディアは、このようなニーズを拾えない。発信された膨大な「情報」は、必ずしも必要でない救援物資を多量に投下するようなものだったのかもしれない。

 情報の発信者と受け手の双方にとって、発信された情報が届けたい人に届かず、受け取りたい情報が届かない、というすれ違いの発生は、その後のコミュニケーションにまでひびを入れたように見える。深刻な被害の中にあって、何を信用したらいいのかわからなかったという経験は、情報と情報の提供者に対するぬぐいがたい不信を生んだ。

 しかも、災害の当事者にとって危難はまだ過ぎてはいない。なにも終わってはいない。自分たちが何に巻き込まれたのかよく理解できないままに、県民健康管理調査が始まったことで、あたかも調査の客体と扱われていると感じる人は少なくないだろう。松井氏は、県民健康管理調査を担う福島県立医科大学の広報部門長として、長期的な情報収集の必要性を訴える科学の立場と、災害の当事者を含む社会全体の端境で、「誰のための何のための情報」であるのかという問いに立ち向かい続けている。

 当事者の視点、現場の痛みは、社会全体を対象とする「マス」ではなく、顔が見える距離、すなわち「ミドル」で共有しなければ、立場の違いや専門性の壁を越えることは難しいのではないか。そうした問題意識が、ミドルメディアという試みの始まりである。 

 科学技術の情報を「伝える」ということは、

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