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 本欄は、ある程度「時事的」な話題について論じるのが本来の性格かもしれない。そうした観点からすると、およそ時事的からはかけ離れた、しかも大上段の議論になってしまうのだが、これからの時代を考えるにあたっての根底的な理念、あるいは世界を見る際の基本的枠組みとして、ここで「地球倫理」という視点を提起してみたい。

 それは時事的とはほど遠い、「浮世離れ」した議論のように見えるかもしれないが、しかし時間軸を中長期的な射程に及ぼして考え、あるいは現在地球上の各地で生じている様々な宗教的対立や紛争を考えると、十分なリアリティをもつテーマであると私自身は考えている。

 加えて、最近では「アベノミクス」や「リフレ」論が実にかまびすしい。私は経済成長を端から否定するものではないが、大きな視野でとらえれば、いま私たちは「第三の定常化」ともいうべき時代に入りつつある。ここにおいて「リフレ」や「成長がすべての問題を解決する」ような幻想をふりまくことは時代錯誤もはなはだしい。こうした視点も踏まえながら、地球倫理というテーマについて考えてみたい。

 いきなり大きな視点からの議論になるが、ホモ・サピエンスが生まれたとされる約20万年前以降の人間の歴史を大きく捉えなおすと、そこに3度の大きな「拡大・成長」と「成熟ないし定常化」のサイクルを見出すことができる。そして興味深いことに、それぞれのサイクルの後半をなす成熟・定常期への移行期に、人間にとって本質的な意味をもつ、根源的な思想あるいは意識の大きな変革が生じた。

 その第一は今から約5万年前の時期で、この時代、近年の人類学などで「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」と呼ばれる現象が起こり、様々な装飾品や絵画、彫刻などの芸術作品ひいては死者の埋葬品等々、シンボリックな心の働きや創造性を示すような事物が生じた。

 現生人類ないしホモ・サピエンスが登場したのは近年の研究ではおよそ約20万年前頃とされているので、なぜそうした「時間差」が存在するのか、どのような背景でそうした変化が生じたのかといった話題が「心のビッグバン」をめぐる議論の中心テーマとなる(内田〈2007〉、海部〈2005〉、ミズン〈1998〉など)。

 この点について、私はそれを、狩猟採集社会における物質的生産の拡大がある種の飽和ないし限界に至り、人間の志向性が外に向かって拡大していく方向から反転し、いわば内的な方向に向かって創造性を発揮したり新たな価値を見出したりするようになったものとして理解してみたい。

 そしてそうした中で、「自然のスピリチュアリティ」と呼べるような、自然の様々な事象の中に単なる物質的なものを超えた何か――有と無あるいは生と死を超えた内的な次元――を見出すような心性が生じ、これが「自然信仰」と言えるような、信仰あるいは世界観のもっとも原初的な形となったのではないだろうか。

 続く第二の変革期は紀元前5世紀前後の時期で、これは哲学者のヤスパースが「枢軸時代」と呼び、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ時代である。

 この点に関するヤスパースの言を聞いてみよう。

 「この時代には、驚くべき事件が集中的に起こった。中国では孔子と老子が生まれ、中国哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や荘子や列子や、そのほか無数の人びとが思索した。インドではウパニシャッドの哲学が発生し、仏陀が生まれ、懐疑論、唯物論、詭弁術や虚無主義に至るまでのあらゆる哲学的可能性が、中国と同様展開されたのである。イランではゾロアスターが善と悪との闘争という挑戦的な世界像を説いた。パレスチナでは、エリアからイザイアおよびエレミアをへて、第二イザイアに至る預言者たちが出現した。ギリシャではホメロスや哲学者たち――パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトン――更に悲劇詩人たちや、トゥキディデスおよびアルキメデスが現われた。以上の名前によって輪郭が漠然とながら示されるいっさいが、中国、インド及び西洋において、どれもが相互に知り合うことなく、ほぼ同時期にこの数世紀間のうちに発生したのである。」(ヤスパース〈1964〉。引用者注:翻訳で「シナ」となっている箇所は「中国」とした)

 では、なぜこの時期にこうした現象が地球上の異なる地域において起こったのか。この点については、以前の著書の中である程度くわしく論じたので簡潔に確認するにとどめるが(広井〈2009〉、同〈2001〉)、次の2点が挙げられると思われる。

1)ユーラシア大陸において大規模な騎馬民族ないし遊牧民族の移動が起こり、これが各地における農耕を基盤とする母権的な定住社会と接触する中で、つまり異質なコミュニティが交渉する中で、個々の民族や文化を超えた普遍的な原理が追求されたという点。
2)近年の環境史等の研究が明らかにしてきたように、この時代において、農耕社会(農耕が始まったのは約1万年前)の生産が発展した帰結として森林の枯渇や土壌の侵食など、農業文明がある種の資源・環境的な限界に直面するようになり、その結果、それまでの量的・外的な生産の拡大から、人間の「欲望」の抑制や、より内的・精神的な価値を志向するような原理が求められたという点。

 このうち、1)のポイントは「個々のコミュニティ(共同体)を超えた普遍的な価値」という点であり、言い換えれば、歴史上初めて、個別の共同体や民族を超えた、「人間」という観念がこの時代に生まれたのである。

 一方、2)は「人間と自然」の関係に関わるものであり、狩猟・採集社会の成熟・定常期において先ほどの「心のビッグバン(→自然信仰)」が生じたとすれば、それに次ぐ農耕社会の成熟・定常化(への移行期)において、枢軸時代/精神革命の思想群の生成が起こったというのがここでの把握である。

 そしてこの時代におけるこれら思想群を、その性格にそくしてここでは「普遍宗教(あるいは普遍思想)」と呼んでみよう。(次回につづく。この連載は、原則として毎週月曜にアップする予定です)

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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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