2013年03月07日
これが、前稿から引き継いだ第二の疑問だった。
この件については、筆者もかねてから一応の見解は持っており、公表したこともある。それはつまり「毒ガス攻撃がある」「ハルマゲドンが起きる」という事態そのものに、次第に注意が集中して行った。それを誰が起こすかは途中からは問題でなくなった。そういうことだ。
妙な喩(たと)えだが、野球で「次のバッターは内角高めがホームランコース、そこへだけは投げるな」と投手がコーチから厳重に注意されたとする。ところが気の小さい投手はそこを避けようとするあまり腕が縮み、魅入られたカエルのように球がそのコースへ行ってしまう。
このように極度に集中させられた妄想は、ほんの一押しで自己達成予言的な様相を帯びてくる。
この見解は必ずしも外れてはいなかったが、より明快な解が本書に示されていた。以下に引用する。
「麻原によれば、“預言”と“予言”は違う。予言は自ずと起こるものを言うが、預言は神の意志を示すもので、信者がその実現に努力すべきものとされた。」「預言とは計画なのだ。」
寡聞にして知らなかったが、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください