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「国会事故調の意義を日本人はわかっていない」-委員長・黒川清さんのロングインタビュー(中)

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

――「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」ができても、委員長はなかなか決まりませんでした。

黒川 法律が成立したのは9月末で、10月かな、委員の選定がすごく難しくて、先生も候補のひとりに上がってますよ、なんて言われた。私も、それまで「独立した調査組織が必要だ」って言っていたからね、頼まれたら断るわけにはいかないなと。まあ、いろいろあったらしいけど、引き受けることになった。そのとき、国会の事務方に2つ頼んだんですよ。9人の委員は国会でもう決まっていたから、辞令交付の日までにひとりひとりと私の面会の時間作ってくれということ。もう1つは、辞令が出たその週かその次の週までに、一泊二日で全員で福島に行くということ。国会では辞令交付が12月8日。それまでに全員と面接しました。意気込んでいる人もいるし、何をやるかわかんないという人もいた。全員に(スリーマイル島事故の)ケメニー報告を見せて、このときの12人の委員と同じような役割を期待するといった。全体像を委員全体で作るというのが大事。信用の問題だからね。そういう委員会ですよって話をしたわけ。で、納得したようなしないような顔をする。人によって違うんだけど。だけど、それを辞令をもらう前に言っておかないと、途中で勘違いし始めて自分の意見を通そうとされても困るから。蜂須賀(禮子)さんは、だいたい何でわたしが選ばれるかわかんないと。

――それはそうでしょうね。福島県大熊町でお花屋さんをやっていらした女性ですね。大熊町商工会会長でした。

黒川 普通の人。だからいいの。ケメニーリポートにもちゃんとそういう人が入っているとお話ししました。それで、辞令交付の国会最初の委員長挨拶で、

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