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多様性の起源
 異なる思想がそれぞれの環境や風土に規定されたものであると理解し、それらの多様性を肯定できるような世界観――これはさほど難しいことを言っているのではない。ある意味で「異文化理解」ということの基本にかかわることだ。

 たとえば、ある相手が私と全く異なった考えや価値観や信仰をもっていたとする。そして私自身の考えや世界観との間にはおよそ接点がないように見える。しかしもし、その相手と自分とは生きてきた環境や風土が大きく異なっており、そうした環境の違いが、それぞれの価値観や信仰の違いに深く影響しているということがわかったならば、少なくともそこに相手を「理解」することへの通路が開けるだろう。異文化理解あるいはそもそも「他者」を理解することとは、本来こうした性格のものであるはずである。

 この点に関し、近年の人類学での研究では、人類の生物学的な能力や行動様式は少なくとも5万年前には現代人と同じものになっていたとし、その後の地球上の様々な地域における文化の多様性は、「人種」などといった生物学的な差異ではなく、「環境」の違いによって生じたものであるという理解が定着している(海部〈2005〉参照)。

 つまり地球上の様々な文化の多様性は、人間という生き物が、異なる環境においてその潜在力を異なる形で適応させ発展させてきた帰結であるという理解である。したがって、私たちが地球上の文化の多様性を眺めるとき、それはほかでもなく「人間がもつ潜在能力の幅広さ」を見ていることになる。

 これがまさに「文化の多様性」と重なるのであって、つまり人間という生き物は、生物学的な組成(DNA)は同一であっても、それがアフリカから出発して地球上の様々な地域――環境ないし風土の大きく異なる地域――に移動していったとき、その環境の違いに応じて異なる生活様式やコミュニケーション(ないしコミュニティ)の多様な姿を発展させ(遺伝情報ではなく脳情報の多様性)、それがすなわち「文化の多様性」となっていったのである。

 言い換えれば、こうした人間の文化的多様性は、DNAの相違に由来する「生物多様性」とは異なる次元のものなのだ。

 「地球倫理」は以上のような世界観とつながるものであり、それは一方で人間の生き物としての(種としての)同一性や共通性、普遍性を認めると同時に、他方でその多様性あるいは可塑性を、環境や風土との関連において積極的にとらえることになる。

 この点は、先ほど本来の意味の「グローバル」(ローカルとユニバーサルの対立を乗り越えつつ、地球上の各地域の多様性やその価値を積極的に認めていくような思想)として論じた点とつながることになる。またそれは、思想や観念の環境規定性あるいは風土依存性を重視するという意味において、連載2回目の表2にも示すように「エコロジカル(生態学的)」と呼べるものである。 ・・・ログインして読む
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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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