メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

原発鳴動、ネズミ一匹 〜心理学から見た停電事故

下條信輔 認知神経科学者、カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授

去る3月18日福島第一原発で停電があり、冷却機能が停止した。一時は原因不明で、このまま4日間冷却できなければ温度が上昇して危険という、緊迫した事態に陥った。結末は「ネズミの感電によるショート」という意外なオチで、事なきを得た(27時間後にすべて復旧)。これを「よくある小トラブル、ネズミ一匹で騒ぐな」と言ってやり過ごすのは簡単だ。しかし経過を詳しく振り返るほどに、原発で大事故を起こす可能性を増幅するものの正体が見えてくる。

 福島第一事故がすでに「収束した」と思い込んでいた人々は、単なる停電の修復にあれほど手間取ったことを、けげんに思ったのではないか。「原発の最大の弱点が電源にある」ことは、3.11の事故で誰の目にも明らかになった。対策をとる時間は十分あったはずなのに、またもやのダウンだ。このままだとまたメルトダウンの危機、9千本近くあるという使用済み核燃料は大丈夫なのかと、恐怖がよみがえった。

焦げた端子の下に落ちていたネズミのような小動物の死骸。毛が飛び散っていた=東京電力提供

 わかってみればネズミ1匹の感電死が原因。ニュースをあまり象徴的な観点から捉えるのは好みではないが、この結末ははなはだ意味深と感じ入った。たかがネズミ一匹で大山鳴動(=大騒ぎ)となり、丸一日以上も翻弄された。2年余を経ても仮設システムがもろく、電源対策が手薄いことを露呈した。 今回も電源のバックアップがないことが判明した。

 今「大騒ぎ」と書いたが、その時点では危機感が走り大きく報道された割には、その後の扱いや反響が小さい。個人的にはその「騒がれなさ」も気になった。

 原発がらみの小事件のニュースは実は頻発しているが、その潜在心理効果について、本欄でも述べたことがある(『原発事故:若者に広がる「根拠不明の楽観主義」の理由』)。まずそもそも、こうした小事件のニュースは驚くほど忘れ去られている。この忘れ去られていること自体、人々の次のような馴れを示していると考えられる。つまり「これまで何度も危機はあったが、大事には至らなかった。そう簡単に過酷事故は起きない」と(認知1)。

 しかし、論理的には別の認知もあり得る。本来、小事故や小ミスが重なったときに、大事故が起きやすい。だから小事故の頻発は大事故への危険なサインであり、その危惧が現実的であることを示している(認知2)。------こちらの方が確率論的にも正当な解釈だが、受け入れられにくい。あらましそういうことを書いた。

 今回の停電事故も、

・・・ログインして読む
(残り:約1170文字/本文:約2169文字)