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理系の就職:リトマス試験紙の様に“反応”する学生たち

湯之上隆 コンサルタント(技術経営)、元半導体技術者

私は4年前まで同志社大学で研究を行い、長岡技術科学大学では学生を指導していた。その経験から、「学生とはリトマス試験紙のようなもの」と感じていた。つまり、多くの学生は、就活をする時期の社会情勢にリトマス試験紙のように“反応”して、調子の悪そうな業界を避け、何となく将来性がありそうな業界を選択し、進路を決める。

 「なぜ君はその会社を希望するのか?」と問うと、論理的に説明する学生もいる。しかしそれは、まず皮膚感覚で“反応”してから、後で論理を付け足したように思われる。だから、学生とはリトマス試験紙のようであり、また学生はその時の社会情勢を映し出す鏡のようなものと思っている。

 私は、2009年以降、母校の京大原子核工学科修士課程で1年おきに講義を行っているが、特に原子核工学科ではその“反応”が鮮明に現れるように思う。古い話で恐縮だが私が卒業した1987年、東日本大震災直後の2011年、そして今年2013年に、学生示した“反応”を見てみよう。

 京大原子核工学科の卒業生の進路としては、歴史的に、電力会社関係が多かった。しかし、1987年卒業の私の同級生で電力会社に就職したのは、私の記憶によれば、たった一人しかいない。86年にチェルノブイリの原発事故があり、それに“反応”したからだと思う。因みに、たった一人東京電力に就職した同級生をテレビでよく見かける。最近の汚染水漏洩に関する苦しい説明をしている。懐かしく思うと同時に複雑な心境になる。

 私自身も“反応”した口だ。80年代中旬は日本の電機・半導体産業が絶頂期を迎えた時代だった。私は半導体を希望して日立製作所に入社した。あとから振り返れば、その年が日本半導体のピークだった(図1)。その後、日本半導体は坂を転がり落ちるように凋落し、私はその凋落と共に半導体技術者人生を送る羽目になった。そして日本がDRAMから撤退すると同時に、「お前も辞めろ」と早期退職勧告を言い渡された。調子が良い産業界に就職してもハッピーになれるとは限らない典型例である。

拡大図1DRAMの国別シェアの推移と私の人生

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筆者

湯之上隆

湯之上隆(ゆのがみ・たかし) コンサルタント(技術経営)、元半導体技術者

1987年京大修士卒、工学博士。日立などで半導体技術者を16年経験した後、同志社大学で半導体産業の社会科学研究に取り組む。現在は微細加工研究所の所長としてコンサルタント、講演、各種雑誌への寄稿を続ける。著書に『日本半導体敗戦』(光文社)、『電機・半導体大崩壊の教訓』(日本文芸社)、『日本型モノづくりの敗北-零戦・半導体・テレビ-』(文書新書)。趣味はSCUBA Diving(インストラクター)とヨガ。 【2016年8月WEBRONZA退任】

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