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憲法改正論議にみるコミュニケーションギャップ

中村多美子 弁護士(家族法、「科学と法」)

今年の憲法記念日は例年とはちょっと違っていたように感じる。ご承知のとおり、自民党を中心にして提起された憲法改正に関する議論が盛り上がっていたためだ。

 私は弁護士だが、ここで憲法改正に関する個人的意見を述べようというつもりはない。これまでWEBRONZAで科学者の社会的責任や、科学コミュニケーションのあり方について法律家の目線から論じてきた。同じやり方で、法学者の法学コミュニケーションについて考えてみたいと思ったのである。

 様々な媒体を通じて、著名な憲法学者が意見を述べている。4月28日には、日本経済新聞の電子版「高まる改憲論議 手続き緩和の是非」で、東京大学の憲法学者である長谷部恭男氏が記者の質問に答えた。5月3日の憲法記念日には、朝日新聞デジタルで「(寄稿 憲法はいま)96条改正という『革命』」で、やはり東京大学の憲法学者である石川健治氏が論考を寄せている。同日、毎日新聞朝刊でも「特集:きょう憲法記念日 憲法96条改正の是非 日本維新の会共同代表・橋下徹氏、憲法学の樋口陽一氏に聞く」が掲載された。

 こうした発言に対し、政治家をはじめとして多くのコメントがなされている。 

私がこれらの議論を読み、「なるほど」と頷いたり、「それはちょっと違うんじゃないか」と首をかしげたりしつつ思ったのは、同じ日本語の文章であっても、法律の非専門家である人々は、専門家が理解するのと同じように受け止めるのは難しいだろうということである。

 上記の記事をざっと眺めただけでも、

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