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はじめに
 最近に至って急遽「日本版NIH構想」が動き始めている。安倍首相が4月19日の日本記者クラブでの会見でこれを表明し――成長戦略の柱としての「健康長寿社会」の一環と位置づけ――、政府レベルでの具体的な組織構想もまとめられつつある。

 この種の構想は、これまでにも折にふれて論じられてきたものであり、第一印象としてまず浮かぶのは「ここにきて何を今さら」という感や、「遅きに失する」という思いであることは否めない。

 しかしそうしたことはさておいて、「日本版NIH構想」という考え方そのもの――アメリカのNIH(National Institutes of Health)のような、医学・生命科学研究biomedical researchの基礎から臨床までを一貫して担当し、研究予算配分を行う組織をつくること――は妥当であり、大枠としての方向自体は賛成できる。手前味噌になるが、1990年代に私が医療政策ないし医療経済分野でおこなっていた調査研究の大きなテーマはこうした「医療技術政策」に関するもので、当時公刊した『アメリカの医療政策と日本』(92年)、『医療の経済学』(94年)などでも、日本における医療技術政策の確立・強化の必要性や「医学・生命科学研究政策の全体を統括する機関の創設」の重要性を論じていた。

 しかしながら、より立ち入って考えると、現在進められている「日本版NIH構想」は、とくに安倍氏の成長戦略の全体像を視野に入れてとらえた場合、一歩間違えれば非常に問題のある医療の姿を日本にもたらしてしまう恐れがあると思われる。

 それはやや単純化して言えば「医療システムのアメリカ化」と呼べるような方向であり、言い換えれば「ピンポイントの技術水準は高いが、医療システム全体のあり方としては費用対効果も低く、半ば破綻している」ような医療の姿である。

 以下、こうした点について考えてみたい。

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筆者

広井良典

広井良典(ひろい・よしのり) 京都大学こころの未来研究センター教授(公共政策・科学哲学)

1961年生まれ。84年東京大学教養学部卒業(科学史・科学哲学専攻)。厚生省勤務、千葉大学法政経学部教授を経て現職。この間、マサチューセッツ工科大学客員研究員。社会保障、医療、環境などをめぐる政策研究からケア、死生観などについての哲学的考察まで幅広く発信。『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で第9回大佛次郎論壇賞を受賞した。

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