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あっという間にCO2=400ppm時代。「21世紀は氷河期が来る」といわれていたのに 

竹内敬二 エネルギー戦略研究所シニアフェロー

大気中のCO2(二酸化炭素)濃度が5月9日の1日平均で初めて400ppmを超えた。年間の平均が400ppmを超えるのも3、4年のうちだろう。世界には「450ppmを超えないようにしよう」という主張もあるが、今の状況ではとても無理だ。ほんの40年前、多くの科学者は「世界は寒冷化に向かっている。氷河期が近づいているのかも」と言っていたのに見事にはずれた。人類は地球温暖化に気づくのが遅れ、あわてて京都議定書をつくったものの、今は対策がうまくいっていない。あっという間の400ppm時代への突入は、世界が早くも温暖化との闘いに敗れかけていることを示唆している。

 空気の成分で最も多いのは窒素、2番目は酸素。次はアルゴンで、4番目が二酸化炭素(CO2)だ。そのCO2が増え続けている。太平洋の真ん中にあるハワイは人間の経済活動の影響を受けにくく、CO2濃度の測定に適している。観測を始めた1958年は315ppmだった。毎年の平均値は例えば、ftp://ftp.cmdl.noaa.gov/ccg/co2/trends/co2_annmean_mlo.txtで見ることができる。

 観測当初の上昇率は年1ppm以下だったが、最近では2ppmと増加が加速している。実は、観測当初から、CO2濃度がかなり急速に上昇していること、そしてCO2が温暖化の要因であることはよく知られていたが、「地球温暖化が大変だ」と騒がれ始めたのは1980年代後半である。

 それは、CO2濃度の上昇のような温暖化要因もあるが、逆に空気の汚れ(エアロゾル)のように寒冷化させる要因も多くあり、全体を混ぜ合わせた結果として、科学者は「地球は寒冷化している」と思っていたからである。

 1970年はじめから世界各地で、干ばつや猛暑、寒波といった異常気象が頻発した。世界の気象研究所はこぞって将来予測を行ったが、その結果、「気候変動は寒冷化の兆候だ」「氷河期が近いのかも」という結論に至った。米中央情報局(CIA)の「CIAレポート、世界の人口・食糧・気象」(75年)は、「おおかたの気象学者の意見は、少なくとも北半球は徐々に寒冷化に向かっているという点では一致している」とし、食糧危機による政情不安の勃発を懸念している。日本の気象庁も73、74年に気候変動調査研究会を設置し、「北半球の寒冷化が進んでいる。現在の寒冷化が続けば、10数年後に、19世紀以前の低温期に似た気候になる」と結論した。80年代はじめ、日本の雑誌は「氷河期がくる」といった特集を多く組んだ。

拡大1940~1970年代まで気温が下降していた。ハンセン氏による

 しかし、80年代以降、気温はぐんぐん上昇した。間違った予測の一因は当時の気温傾向だった。1940年から70年代まで地球の表面気温は下降気味だった。図は当時よく使われたグラフだが、1975年以降を手で隠して見ると、気温の下降傾向が見える。この時代に「将来は温暖化する」とはなかなかいいにくかったようだ。

 したがって温暖化メカニズムの研究は80年代に始まったばかりの、まだ歴史の浅い研究であり、「CO2による温暖化は間違いだ」という「懐疑主義」も生まれた。しかし、おおかたの科学者は、人的活動によるCO2増加が急テンポの温暖化を起こしているという考えを共有している。IPCCの第4次報告書は、1906~2005年の100年間で0・74度上昇したと、している。

 そこから考えると、400ppmに接近というのは、ものすごい脅威だ。産業革命以前は約280ppmだった。図。それどころか南極の氷床コアに残る気泡の調査では、産業革命にいたる過去65万年間のCO2濃度は180~300ppmの間にあったのである。

拡大過去のCO2濃度。最近になって急上昇している

 将来の温暖化を考える場合、欧州連合(EU)などは「温暖化による温度上昇を2度以内に抑えよう」と主張している。これは、将来の大気中の温室効果ガス濃度を「450ppm以内に抑えること」とほぼリンクしている。「まだ50ppmの余裕がある」と思ってはならない。CO2は400ppmでもメタンやフロンなどCO2以外の温室効果ガスが増え、寒冷化要素であるエアロゾルが減れば450ppmに早く近づくことになる。

year mean(ppm)

1959   315.97

1964   319.62    東京オリンピック

1972   327.45   国連人間環境会議(ストックホルム会議)

1975   331.08   このころ欧州で酸性雨の被害が激化

1979   336.78   酸性雨を対象にした長距離越境大気汚染条約

1985   346.04   南極上空でのオゾンホールが報告される

1986   347.39   チェルノブイリ原発事故

1987   349.16   オゾン層保護のモントリオール議定書採択

1988   351.56   IPCC発足

1989   353.07   ベルリンの壁崩壊

1992   356.38   気候変動枠組み条約採択、生物多様性条約採択、地球サミット

1997   363.71   京都議定書採択

2001   371.13   米国が京都議定書を離脱

2002   373.22   環境開発サミット(ヨハネスブルク・サミット)

2005   379.80   京都議定書が発効

2008   385.59   リーマンショック

2011   391.62   東日本大震災/福島原発事故

 世界は温暖化への危機感を認識した1980年代の後半からすぐに、意欲的な対応を始めた。1988年に科学者が集まるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)を設立し、科学データを集めたり、研究を奨励しながら、同時に、国連を場にした気候変動枠組み条約の作成(92年に採択)、具体的な対応策を定めた京都議定書(97年採択)をつくる国際交渉を活発化させた。

 しかし、京都議定書は第1期(08~12年)が終わった段階で半分壊れたといえる。EUが第2期の削減義務を持ったので議定書はかろうじて存続しているが、日本が「第2期の削減義務を拒否」するなどで弱体化した。

 2015年末には、京都議定書に続くものとして「米国、中国を含む主要国すべてが参加する単一の枠組み(議定書のようなもの)」をつくることにしているが、そんないいものが簡単にできる状況にはない。とくに日本は「6%削減の義務」があった京都議定書の第1期が終わった途端に、国内の削減目標もなくなり、CO2削減対策は、何をしていいかわからない手持ち無沙汰な状況になっている。国際交渉で世界の国を牽引する存在からは遠い。世界全体の熱意も薄く、2015年に「主要国が参加し、温暖化にブレーキをかける実効性のある枠組み」ができるとは思えない。

拡大急速に短くなっているスイスのモルテラッチ氷河(後方の白い谷)。立て札は1970年の氷河先端の位置を示している。2012年7月、竹内撮影。

 温暖化対策が進まないのは、基本的にその困難さにある。1990年ごろ、人為的に排出されるCO2が、森林や海の吸収能力の倍以上になっていることが分かった。温暖化にブレーキをかけるには人為的な排出量=吸収量になってバランスされる必要がある。となれば排出量の半減が必要だ。

拡大モルテラッチ氷河の縮みの累積

 「2050年に世界全体で半減、先進国では80%削減が必要」などという数字はここからはじき出される。つまり、世界は、温暖化について、そのメカニズムと危険性が分かった途端に、「CO2を半分に減らせ」といわれたのである。世界はその覚悟ができていない。 ・・・ログインして読む
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筆者

竹内敬二

竹内敬二(たけうち・けいじ) エネルギー戦略研究所シニアフェロー

エネルギー戦略研究所(株)シニアフェロー。元朝日新聞編集委員。科学部記者、ロンドン特派員、論説委員などを務め、環境・原子力・自然エネルギー政策、電力制度などを担当してきた。温暖化の国際交渉、チェルノブイリ原発事故、3・11などを継続的に取材。著書は、電力業界が日本社会を支配するような社会産業構造がなぜ生まれたのか、なぜ福島事故がおきたのかを描いた『電力の社会史 何が東京電力を生んだのか』(朝日選書、2013年)。

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