2013年05月28日
女優アンジェリーナ・ジョリーが乳房をとったというニュースに一瞬驚き、そして納得した。この30年間の医学、生命科学の流れをたどると、そういう話は当然アリだろうな、と思ったのだ。
それは、私たちが今置かれている状況を見事に映している。一つは、遺伝子の時代を生きているということ。もう一つは、再生医療の広まりを予感しているということである。この視点からアンジーの選択を読み解いていこう。
5月14日付ニューヨーク・タイムズのオピニオン面に載ったジョリーさん自身の手記「私の医療選択」によると、乳房切除に踏み切った理由は、彼女のDNAに「BRCA1」という遺伝子の変異が見つかったことにある。
BRCA1は「がん抑制遺伝子」の一つだ。がんが起こるしくみは1980年代、遺伝子レベルで説明されるようになった。生物の細胞にはがん抑制遺伝子が備わっているが、それが変異して歯止めが利かなくなると発がんする、という筋書きだ。米国では遺伝要因が強く関係するとみられる「家族性乳がん」に関心が集まり、研究が進んでいた。米国立保健研究所(NIH)とユタ大学のグループが1994年、その抑制遺伝子としてBRCA1をとりだすことに成功したのである。
今回の報道で注意すべきは、これは乳がんのうちBRCA1や同様のBRCA2の変異によって起こる遺伝性のものに限った話であるということだ。多くの乳がんは、この範囲外にある。
BRCAの1や2に変異があると、乳がんになる確率はぐんと高まる。ザクッと言えば、五分五分のリスクらしい。数字は人によってまちまちだが、手記によればジョリーさんは平均よりもずっと高く、医師から「87%」と言われたという。ちなみに、この抑制遺伝子の変異は卵巣がんの発生にもかかわっている。こちらも「50%」と判定されたと、ジョリーさんは打ち明けている。
ここに見られるのは、自分の病気のかかりやすさ(リスク)を数字で突きつけられる現実だ。これは決して、遺伝性の乳がんだけの話ではない。
背景には、遺伝子を乗せたDNAの全容が見えてきたことがある。1990年代から2000年代にかけて人の全遺伝情報(ヒトゲノム)の解読が国際協力で進み、2003年に完了した。人ひとり分のDNAの塩基配列を読み切ったのである。これによって、病気と遺伝子の関係は急速に明らかにされつつある。
病気には、さまざまな原因がある。病原体や有害物質や生活習慣などの環境要因が大きくかかわってくる。だが、発病に遺伝子が一定の度合いでかかわっている病気は少なくない。がんの多くは親から子に伝わる遺伝子に起因するのではなく、成長した体の細胞のDNAが傷つけられ、遺伝子異常が生じることで起こる。これは、環境要因が遺伝子に影響を与えて病気につながる例だろう。今日の遺伝子診断では、こうした異常も見つけられる。摘出したがん組織のDNAをみて再発の可能性を探ることもできるのだ。
私たちが数値化されたリスクと向き合うことになったのは、遺伝子、DNA、ゲノムをキーワードとする生命科学の急進展があったからこそと言えるだろう。
しかも今は、対話型医療の時代である。日本では1990年、日本医師会生命倫理懇談会が、診療現場での「インフォームド・コンセント」(説明を受けたうえでの同意)を提言した。米国はこうした方向性をもった医療を先行させた国であり、とくに患者の自己決定に重きを置いてきた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください