2013年06月17日
2年前の3・11直後、福島第一原発の1号機と3号機の建屋が水素爆発を起こした。分厚い鉄筋コンクリート製の壁が粉々に壊れ、高く上空に吹き上がる様を見て、私は二つのことを思った。一つは「建屋の内側にある格納容器は大丈夫だろうか?壊れていれば、どんな大規模汚染が起きるのか想像もできない」ということ。もう一つは、「爆発の映像は日本の原発を終わりに向かわせるだろう」だった。
しかし、参院選を控えた今の日本の状況はどうだろう。「原発を減らす」という明確な目標がないまま、再稼働を急ぐ声ばかりが大きくなっている。子ども被災者らの支援を担当する復興庁の官僚がツイッターで暴言を吐いていたが、暴言の内容よりも、そこから読み取れる「まあ復興もこの程度やっておけばいい」というへらへらした雰囲気が絶望的だ。
今、日本の社会は試され、岐路に立っているのだと思う。3・11後に盛り上がった「原発を減らせ」あるいは「脱原発」の世論がなめられ、無視されるのか、あるいは、世論を政策に反映させるところまで押し込むのか、という岐路である。原発事故を2年やそこらで忘れてはならない。
3・11は日本の原発・エネルギーの問題点をあぶり出した。それは3点に要約できる。
1)原子力への過度の依存。
2)電力制度改革が遅れている(発送電分離など電力の自由化が必要)。
3)自然エネルギーが極端に少ない。
民主党政権は、短い期間だったが、これらの点について、それなりにまじめに議論した。とくに1)については、「将来の原子力発電の依存度をどの程度にするか」という命題をたてて、国民的議論を提起した。意見聴取会や討論型世論調査を行った結果、「2030年にゼロ%」という意見が多かったため、2012年9月14日に出した「革新的エネルギー・環境戦略」で、少し緩和して「2030年代の原発ゼロをめざす」を打ち出すに至った。原発依存を続けていた戦後のエネルギー政策を180度転換する衝撃的な方針転換だった。
しかし、自民党に政権が移った瞬間、この政策は無視される。安倍政権は「原発ゼロに向かう」政策を白紙に戻す、と全面否定し、早期の再稼働をめざしている。
ここまでは、政権交代による方針変更といえるが、驚くのは、このほどまとまった「エネルギー白書2012年度版」に、民主党の「30年代全発ゼロ方針」のことを書いていないことだ(6月14日朝日新聞夕刊)。12年の国民的議論では「原発ゼロをめざす」への支持が最も多かった事実も載せていない。3・11後、日本で盛り上がった「脱原発」の動きをほぼ消し去っている。
いくら民主党時代のことだといっても、「革新的エネルギー・環境戦略」は2012年に政府が出した正式なエネルギー政策である。「なかったこと」にして歴史から消すのは国民をなめている。
では、多くの国民はいま何を思っているのか。3・11の後、いくらか揺れながらも原発への依存を減らしたいという点でははっきりしているのではないか。朝日新聞の世論調査(6月11日朝刊)によれば、「成長戦略に原子力発電の利用」という安倍政権の方針について「反対」が59%だった。(賛成27%、その他・わからない14%)。「停止中の原発の再稼働」についても反対58%、賛成28%だった。
今の政権の特徴は、多くの国民が賛成する「原発を減らす」という改善的政策を提示することなく、「脱原発は不可能だ」というだけで、「原発をどれくらい減らすべきか」という議論を提起しないことだ。時間が過ぎる中で、原発反対の世論もまた多少息切れしつつある。確かに世論を政策にのせる(脱原発を本気で掲げる)大きな政党がいない社会での運動継続は苦しい。継続という点では、我々メディアも得意ではない。
しかしながら、とにかく現状をみれば、まだ「3・11を乗り越えて前に進む」というような段階にはないことは確かだ。事故の後始末はまったく進んでいない。3基の原発の同時炉心溶融という前代未聞の過酷事故が起きたわけだが、まだ、炉心の核燃料がどんな風に溶けて、どんな状態になっているのかさえ分かっていない。たまり続ける汚染水をどうするかに右往左往しているだけだ。
被災者の賠償も遅れている。現場では加害者の東電が被災者に強い態度で交渉に臨み、被災者が低い額で泣き寝入りする構図になっている。とりわけ困っているのが、住宅の再建だ。放射能汚染地域に残してきた家の補償費が安く、新しい家がまったく買えないのである。
最近では、原発に近い病院からの救出が遅れ、死亡した患者4人の遺族が、東電に損害賠償を求める訴訟も起こしている。遺族の一人は「お金の問題ではない。父が死亡した理由を裁判で明らかにし、東電に謝罪して欲しい」と述べている。事故の原因解明も廃炉対策も、被災者への賠償も全く進んでいない。
現在、原発の再稼働がストップしているのは、原子力規制委員会(田中俊一委員長)の厳しい姿勢だ。電力業界や原子力ロビーからの独立性は、以前の保安院や原子力安全委員会とは全く異なり、3・11がかろうじて生み出した「前向きな存在」ともいえる。しかし、時間の経過とともに、原発の再稼働がままならない電力業界や地元自治体はいらいらを増し、過酷事故対策の不十分さをタナにあげ、規制委員会に圧力をかけている。
今回の事故の発生を許し、被害を広げた一因は、長時間の停電や炉心溶融などの「過酷事故」が「日本では起きない」として、その準備をしていないことだった。米国などは近年「B5b」という過酷事故対策を整備したが、日本は米国からその概略を教えてもらいながら、「よく意味がわからない」という情けない理由と、「日本では必要ないだろう」といういつもの無責任な論理で無視してきた。これをやっていれば、少なくとも使用済み燃料プールの冷却切れなどにはきちんと対処できたと言われている。今回の事故の裏には規制当局の大失態があったのである。
新たにできた規制委員会は規制基準を厳しくし、これから原発を一基ずつチェックしていく。地元自治体には過酷事故が起きた場合の地域防災計画の作成を求めている。
この防災計画が問題だ。過酷事故が起きた場合を考えると、机上の計画でさえなかなかできないのである。広い地域の大量の住民を短時間に動かしたり、県庁の機能を移転したりするなど、そもそも無理なことなのだ。
関西電力・高浜原発がある福井県高浜町では、県外への避難が必要になるが、計画はたっていない。これについて高浜町の野瀬豊町長は「新規制基準に沿って過酷事故が起きないとなれば、県外の避難先の確定を待つ必要はない」という発言をしている(6月13日朝日新聞)。「起きないから問題ない」は3・11の発生を許した論理である。今は「起きたときの対応」が求められているのに、元の思考に戻っている。
原発の再稼働だけでなく、経済的には破綻が明らかな核燃料サイクル(プルトニウム利用政策)もそのまま動かそうとしている。近々、フランスからMOX燃料が高浜原発に運び込まれる。これは、かつて英仏に委託した再処理からでてきたプルトニウムを「消費して減らす」計画だ。
一方で、青森県六ケ所村の再処理工場の操業開始を急いでいる。これが動けば処理しきれないプルトニウムがますます増えていくことになる。これら二つの政策の方向性は矛盾している。ただただ、各地の原発にたまり続ける使用済み燃料を再処理工場に送り続ける、つまり、原発の運転を頓挫させず、目の前のベルトコンベアを動かすためだけに、コストのかかる再処理・プルトニウム利用を拡大しようとしているのである。問題の解決は先送りされ、矛盾はどんどん大きくなる。
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