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『新聞研究』から 医療報道を考える─生命倫理をどう報じるか<下>

高橋真理子 ジャーナリスト、元朝日新聞科学コーディネーター

キリスト教国、とくにカトリックの強い国では、中絶そのものが倫理上の問題として議論の的となり、米国ではそれが選挙の争点にもなる。日本では、そこはほとんど議論の対象にならなかった。中絶が許される要件を定めた「優生保護法」が戦後まもない1948年にできたとき、戦前の「産めよ、殖やせよ」の反動で「中絶自由化」が新時代の訪れと受け止められたのだと思う。中絶に対する罪悪感は社会の中でほとんど見えない状況が続く中、70年代に入って選択的中絶について激しい議論が巻き起こった。ここで少し、歴史を振り返ろう。

 そもそも、堕胎は刑法で禁じられている。そこで優生保護法で「許される場合」を定めた。たとえばレイプされた場合。そして、母体の健康を著しく害するおそれのある場合。健康を害するのは「身体的または経済的理由があるとき」と49年改正以降の条文に記された。当初は経済的理由による中絶は地区優生保護審査会で審査のうえ決定するとされていたのが、52年以降は産婦人科医(優生保護法指定医)一人の判断でできるようになった。この結果、中絶の届出件数は49年の24万件から55年の117万件に急増。届け出ないヤミ中絶も多く、実数はこれの2倍ないし3倍とも言われていた。

 これはあまりに多すぎるのではないか。そう憂えた人たち(たとえば「生長の家」などの宗教団体、高度成長期に入って労働力がもっと必要だと考えた経済団体)が、「中絶の規制強化」を目指して優生保護法改正運動を始めた。このとき標的になったのが、「経済的理由」だった。この条項をなくし、代わりに「胎児に障害がある場合」という「胎児条項」を加える。そのように優生保護法を変える改正案が72年に国会に提出された。

 これに障害者団体が猛反発した。「障害者は生きる権利がないということか」「障害者だからといって不幸ではない」と全国的な反対運動を繰り広げた。一方で、「産む、産まないは女が決める。中絶は女の権利」と主張する女性団体も、積極的に論戦に参加した。そして「今の社会で『障害者でも産め』というのは障害者のエゴだ」という反論を繰り出す。障害者団体と女性団体は、「経済条項の削除反対、胎児条項の付加反対」という点では一致したが、ときに厳しい対立を見せた。

 結局、

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