2013年08月09日
論文不正がこうまで繰り返されるのは何故なのか。制度が「性善説」に偏り過ぎていたから「研究者も時には悪さをするという前提で、チェック機構の整備を」という結論に落ち着きそうだが、不安も覚える。その結論に必ずしも反対ではないが、研究の最先端ではグレーゾーンが案外広い、ということもあるし、科学で最も大切な創造性の価値がなおざりにされる恐れがあるからだ。そのあたりまで書いた。
もともと日本の科学マネジメントの最大の弱点は、科学の本質的な価値基準で研究者が評価されないことだ。そこに目が行かず、「日本人のノーベル賞を量産する政策」だとか「世界大学ランキングで100位入りを目指すための助成金」などと言っているのは、「馬の前に荷車をつける」類いの愚だ。弱点をいっそう助長する効果しかない。
性悪説に基づく「管理体制」も同じ流れで、これを助長する恐れがある。締め上げれば創造的な研究が出る、とは思えない。
それに加えて、グレーゾーンの研究がどのように裁かれるのか、その公平性は誰が保証するのかという問題も大きい。
前々稿で知能と遺伝研究のスキャンダルとその後を、やや詳しく述べた。その理由は、「データは捏造でも、研究者の直観は正しかった場合が、稀にだがある」「その直観に、数十年を経て手堅いデータが追いつく場合さえある」と言いたかったからだ。
その系列に属するもっと有名な例として、遺伝学で有名な「メンデルの法則」を挙げることができる。メンデル自身の残した観察ノートなどを後になって確率論的に分析した結果から、メンデルが自説に都合の良いようにデータを相当「切りそろえた」(理論的な理想値にそろえた)ことは、定説となっている。それでもなお、彼の提唱した遺伝法則が、この分野の古典的な指導原理であることには変わりない。
またノーベル物理学賞を受賞した
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください