2013年09月10日
ここ数年にわたり東京大学を中心に一部の大学で議論を巻き起こした秋入学移行という提案は、実質的に見送られることとなった。すでにこの場でも数回意見を述べてきたように、私は現時点では秋入学に何らメリットがない、と信じている。実際、学内で意見を述べる機会が与えられた際には、繰り返し明確に反対意見を主張してきた。その効果があったかどうかは分からないが、東京大学では秋入学の代わりに4学期制を導入するという方針が大筋で合意された。これは小さな変更ではあるが、それなりに意味があると考えている。にもかかわらず、それをあくまで秋入学への第一歩だとこじつけている人々がいるらしい。私自身、過去1年以上ついついこの論争にかかわってしまい、すでに飽き飽きしている。この際、もう一度論点を整理し直した上で、トドメを刺しておきたい。
現時点でもなお秋入学論を唱えている人たちの最大の問題は、大局的なビジョンの欠如に尽きる。日本の大学の現状に鑑みて、教育上の改革を推進すべきことは自明だ。そもそも教育とは時代に合わせて常に改善して行くべきものである。では具体的に何をなすべきか。その瞬間、大学構成員の多様な価値観を反映して総論賛成各論反対の状態に陥る。だからこそ、大学のトップには、そのような狭い視点を越えた大局的なビジョンを提示する責任があるのだ。
残念ながら今回の秋入学の提案にはそのような深い洞察は感じられない。私の理解した範囲で再度要約してみれば
1)受験勉強で硬直化した価値観を、大学に入学する前のギャップタームでたたき直す(これこそ、入学直後の大学の講義が担うべき役割ではないか)
2)欧米の大学に合わせることで優秀な外国人学生を入学させる(彼らが日本に来ない理由は入学時期の問題ではないので全く解決にならない)
3)欧米の大学のサマースクールに日本人学生が参加できる(サマースクールはあくまで副次的な活動である。いわば、おやつを食べやすいように主食の時間を変更するようなもので、本末転倒もはなはだしい)
となる(括弧内は私の反論)。この程度のビジョンでは、
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